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アルノー・デプレシャン、映画『キングス&クイーン』監督
投稿日 2006年7月1日
最後に更新されたのは 2017年3月14日
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アルノー・デプレシャン:キングス&クイーン
 
二つの運命、二人の登場人物ノラ(エマニュエル・ドゥヴォス)とイスマエル(マチュー・アマルリック)、喜劇と悲劇の二つのジャンルが交差する。このことが「キングス&クイーン」の監督アルノー・デプレシャン(代表作『二十歳の死』、『そして僕は恋をする』)に2004年度のルイ・デュリュック賞及び2005年度のセザール賞主演男優賞をもたらした。
 
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©Franc-Parler
フラン・パルレ:あなたは新しいフランス映画のリーダーと言われていますが、この称号をどう思われますか?
アルノー・デプレシャン:そういわれて久しいですが。その呼称も忘れられつつあります。それは嬉しいことです。私はそうではないので…私が映画学校出身であることは事実ですし、学校に行かなかったら映画を作ってはいなかったでしょう。だから私と映画の最初の関わりは、自分と同年の人間と共にあり、彼らも私と同じ事をしたいと思っていて、だから私は監督が好きなのです。私にはプライドの問題はなくて、17の時から、自分と同じ事をしたい、映画に関しては自分と同じ様には考えない人間と一緒に過ごすことが習慣になっていました。従って私は師匠になることは全く好きではないのです。でも反対に一人の生徒としていろいろな監督、いろいろな世代から学ぶことが好きなのです。たぶん私はシネフィル(映画通)な監督なのでしょう。フランスではちょっと稀な存在になってきていますが。
 
フラン・パルレ:シネフィルから連想する外国におけるフランス映画のイメージは...ちょっと純粋で堅いイメージですね。
アルノー・デプレシャン:いや違います、フランスにおけるシネフィルという言葉は、私の見解ではそれがまるでセクトであるかのようにとても軽蔑的に捉えられています。事実、私はアートシアター系の映画、大衆映画、アメリカ映画、日本映画、フランス映画というような区別をいつもしているわけではありません。私にとってそれらは同等なのです。今ではフランスの監督よりも、外国の監督の知り合いが多いと思います。私は大衆映画との違いを認識することができませんし、私にとっては、みんな同じことなのです。全てが純粋で堅い映画があったなら、それはまさしく映画ではなく、小説や演劇といった崇高な芸術になるのでしょう。映画が素晴らしいのは、これが大衆向け芸術であることです。映画において面白いのは娯楽を作り出すのに崇高な芸術を使うというところです。
 
フラン・パルレ:監督にとって一本の映画を企画することは、まるで桁外れの企業のようですね。場合によっては悲劇的であったりしますか?
アルノー・デプレシャン:(笑)いや、そんなことないですよ。それは、仕事だから、面白いですよ。もしも仕事がつまらなかったら、観客は作品を観ながら退屈しますよ。私はそう思っています。私はいくつかの作品を、この作品の制作中、現場は退屈しただろうな、と独り言をいいながら見始めることがあります。それは良くないサインなのです。それはスペクタクルの間じゅう退屈するという意味ですから。そこに真面目な精神があると、退屈するのです。
 
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フラン・パルレ:あなたは精神科医の役を演じてくれたカトリーヌ・ドヌーヴの支持を得ましたね。この企画の何が彼女の気に入ったのでしょう?
アルノー・デプレシャン:場面の不遜な雰囲気だと思います。まずは場面、登場人物だと思うのです。私は彼女を少し知っていて、彼女はちょうどテレビ用の『Princesse Bonaparte』の準備をしているところでした。そこで彼女は著名な精神分析学者となるこのマリー・ボナパルトを演じていました。そして同じ年に精神分析学者と精神科医を演じることが彼女を面白がらせたのです。この二人の女性はとても不遜な一面を持っていて、半分男性優位主義者で半分はウルトラフェミニストです。場面には「女性は心があるか、まったくないか?」という台詞があります。このような自由度の高い作品の中にあっても、それが彼女を楽しませたのだと思います。そして後にシナリオを見ていて私は実際、ノラの場面の役者達の誰一人としてイスマエルの場面の役者達を知らないということに気づきました。ノラのパートを撮影すると毎回、みんながイスマエルのパートはどんな感じ?悲しい?どのように進行するのですか?と私に聞くのです。物理的にノラ役のドゥヴォス、イスマエル役のアマルリックと演技したのはたった二人、ドヌーヴと小さい男の子役でした。そこで私はカトリーヌに、二つの場面の一部に出演するのに、フランスで最も有名な女優と最も無名の、この作品が初めての子役を選ぶということは気が効いていると思う、と言ったのです。彼女はこう言いました。この小さな男の子役と私が同等であるなら悪くないし、私にとても合っていると思う、と。
 
フラン・パルレ:私はイスマエルのこの台詞を取り上げてみたいのですが。「女性達は小さい泡の中に居る」これはあなたが書いたのですか?
アルノー・デプレシャン:そうです。私が台詞を書きます..「そして男達は死ぬ為に生きる。」そこに発見するのはトリックや冗談です。観客の不意をついたり、笑わせたり、傲慢にふるまったり、痛いところをつこうと試みること。これは面白いことに男の子の方がより困惑します。イスマエルがあまりに女性蔑視なので、その場面を好む女の子達にくらべ、男の子達はずっと困惑しています。常に笑わせてくれるのは彼の歯に衣着せぬ言動です。女性は…でない、こうである、ああである等の偏見。その後、彼が担当の精神分析医(エルザ・ヴォリアストン)に出会った時、彼女が女性であること、実際彼の絶対神であること、彼に忠告し、彼の言い分をとても注意深く聞く、最良の友であることに気づくのです。
 
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フラン・パルレ:あなたは役者達の意見をとても尊重しているのですね?
アルノー・デプレシャン:私はアドリブが出来ないのです。もし何人かの役者が私にアドリブをするように頼んできたら、私は役者達が好きですから、彼らにこう言うでしょう。「いいですか、私にやり方を教えて下さい、どうぞ始めて」と。でも今までのところ、彼らは私が提案したもので満足しました。私は彼らにこう言うでしょう。「別のやり方も出来るけど、私は、どうするのか良くわからない。私はアメリカ映画についての書物で読んだけど…私はいつもアドリブが日常的すぎたり、現実的すぎたりするのが怖いのです。台詞が気まぐれであればあるほど、役者にとっては言いにくく、そこには常にエキサイトな時間が存在します。私はそれがとても好きです。役者達がこんなことをどうやって演じろというんだ、無理だよ、とひとりごちて崩れるのを見るのが。事実、これは一つの空間の中の全く自然なスタイルの小道具、人の動きで、普段の生活では言わないようなことを言うということを創り上げる試みなのです。そしてその不自然なことを小さな男の子に物語を話してやる時のように、あっさりと信じ込ませるのです。そして役者達が信じられないほどの激しい、信じられない位のばかげたことを喜劇的な場面で言う時の役者達のプライドを見る時、それが全く自然なこととして通じさせることが出来る時、それは彼らにとって大いなる勝利なのです。でもそれには役者達と多くの対話が想定必要です。私の仕事は、一人の役者と同じ仕事だという印象をもっています。私は彼らと同等に身を置きます。私は技術グループの一員にはなりたくありません。私は彼らと共に居て、彼らより優れているのではなく、彼らと同じなのです。
 
2006年7月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき



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