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ディアーヌ・ベルトラン、映画『薬指の標本』監督
投稿日 2006年10月1日
最後に更新されたのは 2017年3月14日
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ディアーヌ・ベルトラン:『薬指の標本』
 
映画監督ディアーヌ・ベルトランは小説家小川洋子の同名の作品を映画化した。『薬指の標本』すなわち事故によって指の先を失った若い女性が、その次に、保存する作業に没頭する奇妙な研究所で働くという物語だ。一つの作品の二つの形が読者のみならず観客をも自問自答することになる。
 
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© Franc-Parler
フラン・パルレ:あなたはジャン=ピエール・ジュネと多くの仕事をしたのではないですか?『アメリ』とか?
ディアーヌ・ベルトラン:長い間そうでしたね!でも『アメリ』は違います、私は『アメリ』では全く仕事をしていないのです。一切。でも、私は彼と仕事しました…じつは、私が彼に出会った当時、私は振付師で、CMフィルムやビデオクリップ製作で一緒に仕事し始めたのです。だからかなり前になりますね。彼はちょうど『最後の突風の砦(邦題)』という短編映画を撮り終えたところでした。私達は一緒にシナリオも書きましたが映画にはなりませんでした。何故ならそれが『デリカテッセン』と同時期で、彼は『デリカテッセン』を作ったからです。その時点から私はドキュメンタリーを作ったのです。いわゆる『デリカテッセン』のメーキングビデオのようなものですが。この作品を作る際の彼の仕事に私はもちろん注目していました。そして何よりも私の作った初めての長編映画『Un samedi sur la terre』のシナリオライターは『アメリ』のシナリオライターなのです。実は同じ人です。だから『アメリ』と、それよりも大分前に作られた、でももっとずっと暗い面に立った私の最初の長編映画には共通点があると言えるでしょう。物語の構造はそんなにすごくかけ離れてはいないのです。それにこの作品『薬指の標本』では、彼は私がこの企画を持っていることを知っていて、私達をサポートしてくれましたが、一緒に仕事をすることは全くありませんでした。もう大分前から私達は一切、共に仕事をすることはなくなりました。でもお互いのことに詳しいです。お互いの仕事に注目しています。
 
L'annulaire
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フラン・パルレ:主人公がオードレイ・トトウに少し似ているところがあるような印象を受けるのですが、違いますか?
ディアーヌ・ベルトラン:それはほんのちょっと似ているからでしょう。実際あるシーンで、彼女の前髪が似ていたからでしょう。誰かが一度それを私に言ったことがあるのですが、それは決してわざとではないのです。それに何より彼女たちはとても違っています。何故ならオードレイ・トトウはオルガ(キュリレンコ)のような官能性を漂わせてはいないからです。彼女は『アメリ』の愛らしい登場人物、正確に言えば、その身に全く奇想天外な物語がふりかかるというだけです。私にとって彼女達は全く違っています。私は二人とも知っていますが、全く同じ感じの娘ではありません。
 
フラン・パルレ:あなたの映画の原作になったこの本を選んだのは、どのような偶然からなのですか?
ディアーヌ・ベルトラン:まったくの偶然です。実際には、私が脚色する本を探しているのを知っていた女友達の一人が、ある日、本当に、彼女は、まったくの偶然に、電車に乗る前に、この本に巡り会ったのです。彼女はその本を読んだあと、私を呼んでこう言いました「今、全く奇想天外な本を読み終わったところなの、そこにはホントに何かすごいものがあるのよ、読んでみて!」それで、私は一度駆け足で読み終えてから、これはすごいわ、と思いました。映像が浮かんだのです。それからもう一度読み直す必要があると思いました。なぜならこれは結構複雑だからです。これは日本のものですが、私は全く日本的ではありません。だから私はこれをもう一度読み直したのです。そして絶対にこれを撮らなければいけないと思ったのです。それから情報を集めました。著作権の依頼を快く担ってくれる製作会社を見つける必要がありました。なぜならそれは全くフランス的な世界ではなく、かなり込み入った仕事だからです。その為に私はこれを少しヨーロッパ式に作ったのです。ドイツとイギリスとの共同制作と言えましょう。この作品の中にはちょっとずつ色々な地域の人々がかかわっていて、それでこんな風に出来上がったのです。
 
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フラン・パルレ:原作の日本的な要素で、あなたが映画に取りいれなかった、あなたの作品で変更した点はありますか?
ディアーヌ・ベルトラン:既に、役者達は日本人ではありませんし、それは日本を舞台にしていません。残念ながら、私がそうしたかったとは言っても、それはあまりにも難しすぎたでしょう。出来なかったでしょう。だから既に状況は少し変わっています。このことは、ヨーロッパの女性の視点がある一方で、背景は全く地理的観点では…全く日本に対応していないので、何かとても特殊な感じです。でもそのかわり私が面白いと思った事は全て最大限、この作品の中に残そうと試みました。撮らなかったシーンを挙げれば最後の一つか二つで、老婦人の死があるところです。物語にとってそこは特別に興味深いとは思いませんでした。それで、特に私は研究所の外での一連の広がりを付け加えました。それは平行した一連の物語の一種で、研究所の男と生活する彼女の物語を引き立たせるものです。
 
フラン・パルレ:作品の中ではセリフがあまりないですね…
ディアーヌ・ベルトラン:あまりセリフはないですね。それでも本の中のセリフはかなり映画の中で使っています。確かにセリフは特別な概念ではありませんでした。何故なら私は小川洋子の世界を最大限リスペクトしようとしたからです。それはとてもゆっくりしていて、本当にこの本は極めて強い、とても官能的な世界を描いています。奇妙に肉体的であると同時に、時々とてもゆるい。それはとても日本的です。従って私は実際にそれを尊重しようとしました。それが饒舌である理由はありませんでした。とりわけ彼女の本では、まったく心理描写がなく、つまり物事を説明することがないので、私も同様にしたのです。要するに私は何も説明しない、という精神を保ったということです。それは私達ヨーロッパ人のように、とても合理的な精神を持つ者にとっては戸惑っているように見えるかも知れません。日本人にとっては、それが問題になることはずっと少ないと、私は想像します。この件については、最終的に日本人の女性がどう思うか、この際、知りたいと思います。でもこの本はまさに(読者の側に)読み取ってもらうもので、従ってこの映画も観客自身に旅をしてもらうものです。でもこれは本当に通過儀礼的な旅ではなくて、言うなれば、物語の合間に…多くの幻覚のシーンがあり、主人公の身に起こったこと全てが現実なのか、主人公の彼女が創り上げているのか否かどうかは分からない。そういうわけで、観客は主人公と共に、彼女が望みを遂げる方向に向かうのですが、実際はそれに対峙することになります。
 
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フラン・パルレ:あなたは照明や映像面で随分工夫されましたね…|
ディアーヌ・ベルトラン:ええ勿論です。何故なら、この本を読むと確かにそうすることに適しているからです。一方、そういったものを必要としない物語もありますが、これはまさに…つまり、私は読んでいるうちにそれを感じたのです。だから私はそうしたかったのだし、映画とは映像と同じく音声でも作られていると思うからです。というわけで、これは完全に、マッチしていた、というか、私はこの作品をとても撮りたかったし、この方向で創り上げたかったのです。
 
2006年10月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき



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