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ピエール・ノット、劇作家、戯曲「私もカトリーヌ・ドヌーヴだ」
投稿日 2007年2月1日
最後に更新されたのは 2017年3月14日
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ピエール・ノット:『私もカトリーヌ・ドヌーヴだ』
 
ピエール・ノットは満ち足りた劇作家である:彼の戯曲『私もカトリーヌ・ドヌーヴだ』は、彼が書いた1ダースほどの挿入歌を含め、私立劇場対象の2006年度モリエール賞を受賞した。東京の観客はバラバラな家族の常軌を逸した奇妙な物語の日本語版を目の当たりにするのに4月初めまで待つばかりだ。
 
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©Aymeric Giraudel
フラン・パルレ:あなたは若くして演劇の世界に入ったそうですが...
ピエール・ノット:私は初めての戯曲を13才の年に書きました。なぜなら私自身、読解に多くの困難を伴ったからです。カフカやカミュは特に。そこで私は自分で書いて、登場人物達に会話させてみようと決心しました。何故なら私自身が自分の考えを表明するのに困難を極めたからです。だから私はただ、会話不能状態から私を少し守ってくれるような対話方法を発明しようと試みたのです。
 
フラン・パルレ:直接その道に入られたのですか?
ピエール・ノット:いや、複数の仕事をしました。何故なら私はジャーナリストだったからです。実は、私は一編の小説を書いて、それがモーリス・ナドー出版から出ました。それから、この小説が刊行されたおかげで、新聞雑誌、特にヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌やレヴェヌモン・デュ・ジュディ(当時の隔週刊文化情報誌)に執筆することを勧められたのです。そして私の演劇に関する知識や経験が私を雑誌や専門誌向けの演劇評論家にさせたのです。私は一時期劇作家としての活動を中断していました。なぜならそれと批評とは両立しないと思われたからです。でも評論活動を辞めたとき、私は再び演劇執筆に没頭しました。というより、私はそれに時間を費やしつつも、それ以上に、それまで書きためて、隠してあった作品を流通させました。ということで、複数の違った仕事をしました。
 
フラン・パルレ:あなたは現在コメディー・フランセーズの事務局長でいらっしゃいます。どんなお役目なのか、その役職であなたがなさっていることをお話いただけますか?
ピエール・ノット:実際、とても単純です。コメディー・フランセーズの総支配人、つまり実際にこの劇団を動かしている人物で、現在はミュリエル・マイエットですが、彼女の周りには3人の人物がいます。一人はとても重要で、法律、管理行政、会計に関する全てを担当しています。それはとてもとても重いポストです。一人は技術を含む、舞台に関する全て、コメディー・フランセーズに欠かせない技術面を担当しています。そして三人目は残り全ての担当で、それが私です。つまりそれは観客のもてなし、観客との交流、連絡、メディア、新聞雑誌は勿論、場合によってはメセナも含みます。それから私はミュリエル・マイエットの傍らでプログラム作成、コメディー・フランセーズに於ける様々なイベント、それらのメディア向け広報、それらの観客や専門家に向けた通知に関する仕事をしています。これを全部同時にやるのです。
 
フラン・パルレ:あなたが劇作家としてなさっていることと、それらの職務は実際、両方全く異なる面ですね?
ピエール・ノット:そうですね、そのことは1月に完全に明らかになるでしょう。何故なら私にはパリの私立劇場に属するトリスタン・ベルナール劇場で、ここはとても大きいところだと思いますが、1月25日に初演される戯曲『社交界の野蛮人、ジャーナリスト達』があるからです。これは完全に民間制作の私立劇場ですから、フランスの公的劇場のトップであるコメディー・フランセーズが上演するもの全てとは対極にあります。私は私立劇場の劇作家です。『私もカトリーヌ・ドヌーヴだ』は私立劇場で上演されたもので、公的劇場では全くないです。それは実際、私がフランス演劇の二つの分野の間でまるでジキル博士とハイド氏であったかのようです。
 
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フラン・パルレ:ところで、彼女本人はこの戯曲を鑑賞されたのですか?
ピエール・ノット:ええ、カトリーヌ・ドヌーヴは来ました。私はとても感激しました。彼女を9時に待っていたのですが、彼女は9時1分に、本当にギリギリに来ました。彼女は会場の中央に座りました。その結果、彼女が来たので、当然、みんな立ち上がりました:私はカトリーヌ・ドヌーヴが『私もカトリーヌ・ドヌーヴだ』を鑑賞するのを見たのです!私はといえば、自己紹介するために、私が作者です、と言いながら彼女の方に進み出ました。彼女は「あらそうなの?」と言って私を見ました。そして彼女は会場に入っていきました。彼女は劇に臨席し、実際、劇が彼女を攻撃し、私生活の事柄を取り上げていることを確信していましたが、事実はそうではなく、むしろ彼女が映画で演じた人物を通じて彼女への敬意を表しているということを目の当たりにして、とてもとても嬉しそうでした。彼女はとても心を動かされ、感激していました。だから、彼女はそれから終演後、私達と一緒に残ったのです。役者達は知らされていませんでした。なぜなら、そうでないと、彼らは演じることが出来なかったでしょうから。だから、彼らは終わった後にカトリーヌ・ドヌーヴを見てとても驚いていました。彼女はそれからとてもとても暖かく、私達に本当に親切な言葉をかけてくれ、雑誌『ステュディオ』とラジオの為のインタビューに答えることまでも承諾してくれ、劇の話をし、作品の批評をし、非常に称賛のコメントをしてくれました。それは当然とても心地よいものでした。彼女は私にこれはまさにシネフィル(映画通)の戯曲だと思うと言ってくれ、それで私はもごもご言ってしまいました。それでも私は彼女に挨拶の抱擁をして、本当に感激しました。
 
フラン・パルレ:あなたはカトリーヌ・ドヌーヴを選びましたが何故、特別に彼女なのですか?
ピエール・ノット:色々な事からです。この戯曲はまさに、自分の立ち位置がわからない、または社会が自分に要求している状態が見えない人々のアイデンティティの危機を物語っているのです。ここでは、誰も、母親も、その子供達も、自分の立ち位置がわからないのです。そして子供達のうちの、一人の娘があるアイドルに成り切ることを選ぶのです。何故ならしばしば自分自身以外の誰かになる方がより簡単だからです。そこで彼女はカトリーヌ・ドヌーヴになることを選びます。なぜならこれは私の視点ですが、現代の圧倒的なアイドルだからです。つまり彼女は完全なプライベートの領域を決して売らなかったということです。彼女は何より、トリュフォー、ブニュエル、ジャック・ドゥミ、アンドレ・テシネの映画の物語に出てくる何人かの登場人物そのものであり続けています。私達の夢や文化の物語に出てくる登場人物があまりに多いので、彼女は今日のアイドルです。誰と行動し、誰とつきあって、どういう考えをもっているか、人々が何でも知っているセレブリティよりもずっと。
 
フラン・パルレ:劇場では、キャバレーで歌われるタイプの歌と関連が多いですが、何があなたをこの分野に惹きつけたのですか?
ピエール・ノット:私はずっと歌を書いてきました。歌は気晴らしの空間であり、(曲なしでは)独り立ち出来ない詩の一種です。そして私はそれがむしろ好きです。小唄やリフレイン、簡単なメロディーといった、みんなが覚えられて、みんなで歌うことが出来るものが。それを私は非常に気に入っています。なぜならこれはすごく単純で、すごく控えめな(歌という)小さな道具を介した個人同士のただの再協調だからです。それに劇場では、それによって、激しいリアリズムや(登場人物に)成り切る欲求から距離をおくことが出来るからです。
 
2007年2月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき



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