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ミカエル・フェリエ、『フクシマ・ノートー忘れない、災禍の物語』著者
投稿日 2013年8月4日
最後に更新されたのは 2016年7月27日
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ミカエル・フェリエ、『フクシマ・ノートー忘れない、災禍の物語』
 
作家ミカエル・フェリエはかれこれ20年近く日本に住み、東京の中央大学でフランス文学を教えている。また10年以上にわたり、小説やエッセーの類を次々に上梓している。常々“生活するなら東京、でも死ぬ時は京都がいいなぁ、それも出来るだけ長生きしてからね”と言っているが、その彼が、『フクシマ・ノートー忘れない、災禍の物語』(Fukushima, récit d’un désastre)(ガリマール出版社、2012年)という本の中で、あの三大災禍(地震、津波、そして、福島の原発事故)を通して自ら考察するにいたったことを述べている。そこから彼は、原子力の制約を受ける地域の住民の上に降りかかるハーフ・ライフという概念を引き出している。
 
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フラン・パルレ:君の多くの作品、恐らく大部分は、東京、日本を舞台にしているね。
ミカエル・フェリエ:かなりの作品はね。でも全部とまでは言えない。ルイ=フェルディナン・セリーヌのエッセーもあるし。また、日本を舞台にしている小説で、「幽霊にたいする共感」のように、多少、フランスやレユニオン島やその他沢山の国々、まあ、いたるところが舞台になっている小説もある。僕が日本に住み、暮らしてからというもの、日本という国が、汲みつくせないほどの宝庫となっているのは確かだけどね。
 
フラン・パルレ:今や福島は、無尽蔵どころの話ではないね。
ミカエル・フェリエ:福島には全く驚いたね。僕は以前こんな本を書くことになるだろうとは夢にも思っていなかった。
 
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フラン・パルレ:福島以前に、君は原子力問題に関心があったの?
ミカエル・フェリエ:殆どなかった。まあ、多分大勢の人と共通する立場にいたのではないかと思うよ。控えめだったけどそれに反対の立場をとっていたということかな。過去に原子力反対を掲げた活動家では決してなかったね。全然そんなことはなかった。だだ、そのテーマには関心があって、例えば、大学の文学の講義などで、広島をとり上げたことはあったけど。だから、このテーマについて少々勉強したことはあるけど、大勢の人達同様、僕は福島の事故によって、政治的にも個人的にも、沢山のことを考えさせられたと思う。福島の事故が僕に揺さぶりをかけたんだ。驚くべきことに、僕はチェルノブイリを体験した世代でね。1986年、チェルノブイリの雲が国境で止まったあの有名な瞬間に、僕はフランスにいたんだ。でも恐らくあの当時は若すぎたのかな…….エコール・ノルマル・シュぺリウールの口答試験のとき、この問題について喋ったのはよく覚えているけどね。それでチェルノブイリ以来、この事態には関心があったのは事実。でも断固とした態度ではなかった。興味はあったものの、直接関与したわけではなかったってところかな。直接的に行動をとらせたのは福島なんだ。僕は現場に立って、起こったことをこの目で見、聞いたのだから。東北地方へ行き、そこで僕は、個人的な体験でいわせてもらえば、“刀でずたずたにひきさかれた感じ”がしたんだ。なんとも形容しがたく、様々な感情が駆け巡り、深い思いに揺さぶられたね。それを体験した人だったら、この原子力の問題に今までとは違った思いを抱いたと思う。でも、結局はこういったことは、よくあることなんだよ。長年にわたって、問題もなく、平穏無事な状態で扱われていた事が、ある日突然、思っていたよりもっと深刻な事態となって、僕たちに迫ってくる、ということが。
 
フラン・パルレ:幾つかの一連の出来事があり、それらが時系列に起こったんだけど、君が一番注目したのは福島だよね? 津波とひきつづき起こった福島の事故とを比較することは出来るものなの?
ミカエル・フェリエ:この本の中で、僕が絶対に語りたかったのは、この3つの災禍、あの次々に起こった一連の災禍についてなんだ。日本人だけでなく、あの時日本に住んでいた人たちは、そんな風に、この3つを続けて体験したのだから。順序からすると、地震、津波、そして原子力災害の順だ。君は覚えてる? 長い間、ある期間といってもいい、日本で怖かったのは、地震の余震だった。すでに、原子力発電所の問題に火がついていたにもかかわらず。だから、僕はこの順序を大切にしたい。実際、この順序で起こったのだから。僕は、後験的に話を再構築して、原子力の側面を誇張しようなんて思ってはいない。その点を第一に強調したい。とは言っても、あの時、3つの災禍が継起したという事実を考慮してもなお、原子力の災禍は、明らかに、内容的にも規模の大きさからも、地震や津波とは違った相当大きな問題を提起していると思うんだ。だから、その点も重視し、報じなければならないと思うね。
 
フラン・パルレ:君は福島について日本人が書いた他のエッセーや報告書も読んだの?
ミカエル・フェリエ:ええと、私が自分の本を書いていたときは、日本人やその他の人達が書いた文は出来るだけ読まないように努めたんだ。福島についてだけではなく、原子力全般や地震に関してもね。他人の考えに煩わされたくなかったんだ。そんなことは、多くの作家がよく知っていることでね。ものを書いているとき、湧き上がるかすかな声に道を開けておくためには、少々世間から離れている必要があるんだ。日本人はそのことをよく知っていて、多勢の日本の物書きは、かなり昔から、その技法を開拓してきたからね。“カンヅメ“という方法。そう、缶詰ね。書くためにどこかへ雲隠れするってこと。川端康成もよくそうしたし、他の作家もそうだった。確かに、僕はこの本を書くために色々読んだけど、必要に応じてその都度読むといったやり方で、いわば、実利的にとでもいったらいいかな。それはこの本のなかに採用されているよ。日本政治への言及や、日本文学の名文の数々を引用したりしたから。だから、そう、僕は他の人の本も読んだ。ただし少量だけ(笑い)…少量だったら害はないとよく言うでしょう?
 
フラン・パルレ:大学の君の生徒達は、このことについて君と話しをするの?
ミカエル・フェリエ:もちろん、生徒達と話し合うよ。今年僕は、「災禍の作家」と名づけたテーマで授業をしている。その場合、過去や現時点で福島について語っている作家のみを採り上げるのではなく、別の災禍についても語るけど、福島について、そう、日本での呼びかたで言えば、3.11について、どうしても話を持っていくことになるね。でも、日本の大学には少々問題があるんだ。というのは、日本の学生は、よく無気力で問題意識に欠けると嘆く声が聞かれる。それも先生方の口からよくそういった嘆きが聞かれるんだ。でも僕は、むしろ先生の方こそ、何故彼等の学生達がそんな風に無気力なのかを自問すべきではないかと思うよ。学生達が悪いのではなく、むしろ先生方のやり方が悪いのだ。この日本の学生にみられる政治意識、政治的考察力の欠如は、仮定あるいは立証済みの欠如であったとしても、僕の考えるところでは、その原因は、アカデミックな世界では、真正な政治的考察をするのは極めて難しいという事に由来すると思うね。このテーマ(原発)に関しては、恐らく日本社会全体の中でも難しいだろうし、日本社会の中だけでなく、フランスでもそうだと思うよ。フランスは、日本同様、原子力問題に向き合って、現実否定とは何かを考える良き立場にいる、と僕は考えるんだけど。
 
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フラン・パルレ:ハーフ・ライフ(半減期)という言葉は、原子力の専門用語だね。文学的観点からすると、それはどういうことになるの?
ミカエル・フェリエ:君は覚えていると思うけど、あの出来事が起こった時に、華々しく語られたこの言葉を僕が再び取り上げたのには、先ず第一に、そこに少々僕からの皮肉、生意気ともいえる気持ちをこめたんだ。当時、ある放射性核種の半減期はいくつ、別の放射性核種の半減期はいくつと言って、比較していた。その上、全く比較できないことを語っていた。例えば8日の半減期と300万年の半減期を比較するとかね。300万年の半減期とは、プルトニウムのことを指していたと思うけど。要するに物事はすべて科学的にコントロール出来ると見せかけるやり方だった。ところで、僕の心に映ったもの、それは、全メディアがこぞって採り上げていたこの言い回しそのものの背後に、この言い回しを通して、この言い回しに運ばれて、巨大な集団的無自覚というものが存在するということだった。もちろん、ハーフ・ライフには、非常に正確な、恐ろしいほど正確なあの専門的な意味があるけど、僕はそれを違った意味、暗喩的意味にとり、同時にそれを概念化しようと試みたんだ。即ち、ハーフ・ライフとして、どんな定義があるか? それはいつ発生するのか? 何処で? どんな媒体を通って? どのような領域に?といった具合にね。でも、それは、まだ素描程度の概念化だった。目下、僕はもう一つ本を書いていて、こちらはずっと“哲学的”な作品に仕上げようと思ている。だから、『フクシマ・ノートー忘れない、災禍の物語』は、違ったタイプの本なんだよ。急いで執筆し、証拠を集め、ルポをして回って書いた本とでも言っていい。ハーフ・ライフに関しては、執筆当初よりその言葉を採り上げて、あの当時起こりつつあったことをその言葉が如実に言い表していることを伝えたかったんだ。そして、技術や科学力が闊歩し権威を振るっていた風潮のなかにあって、このハーフ・ライフという表現が、全く別のことを意味しているということをね。実際、ハーフ・ライフは、じわじわと、しかもかなりのスピードで浸透して来ているのが判る。今日東北地方で起こっていることは、2・3年前には、全く想像できなかったことだよ。
 
2013年7月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:井上 八汐



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