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ジョルジュ・シャプティエ、神経生物学者・哲学者
投稿日 2012年1月1日
最後に更新されたのは 2016年7月27日
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ジョルジュ・シャプティエ、動物の権利を高める為に
 
神経生物学者のジョルジュ・シャプティエ氏は、フランス国立科学研究センターの研究ディレクターで、動物の記憶と不安についての研究を続けている。また彼は哲学者であり、動物の生態や権利に関心を抱き、そのテーマについて多くの著書を発表している。
 
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フラン・パルレ:人間は、他の動物達と同じく、動物の一種なのですか?
ジョルジュ・シャプティエ:そうですね。人間は、他の動物と同じ、動物の一種であり、尚且つ、他の動物とは異なるものです。興味深いのは、人間と動物の間に、相互に交流しあう境界線があって、この境界線が、かなり頻繁に動くということです。言うなれば、明確なのは、人間は動物であることと、人間の本質という点では、動物と同じではないことです。しかし、人間は他の動物と似通っています。他の動物と同じように、呼吸する、繁殖する、食べる等といった意味では。少なくとも人間に最も近い動物と似通っています。病気や病理学は、人間から動物に、または相互に、感染したり、適用し得るものです。それより確かなのは、進化論が、人間は霊長類の部類から派生したと示している事です。ですから、人間は、チンパンジーなどといったものと同類なのです。つまり人間の本質に関して言えば、人間は動物なのです。ところで、人間の文化に関して言えば、話はもうちょっと複雑になります。文化の根源は、動物において存在します。ここで言う動物とは、最も進化した動物のことを指しますが、道具や、道徳的規範、審美眼、認識の法則等の使用が見受けられます。すなわち、我々が文化と呼んでいるものの始まりは、動物に見られるのです。しかし、人間が、己の高度な大脳をもってして、文化をずっと高度で広大な次元に引き上げることは明らかです。それは、チンパンジーの様に、人間に近い動物でさえもできません。従って、文化の面において、人間は、ある物をもう少し何か別なものに大きく転換させるのです。人間科学の専門家達が、人間の文化は、動物の文化に比べ、それでも、ある種の特殊性を持っていると力説するのは正しいのです。ですから、境界線と言ってもよいですが、はっきりしない境界線なのです。
 
フラン・パルレ:動物の権利について、ますます話題に上る様になりました。例えば、ガチョウの強制肥育に関しては、法制化されています。それは必要なのでしょうか?
ジョルジュ・シャプティエ:全くその通りです。私は、動物の権利の支持者です。動物の権利は、すでに、我々の社会に存在していますが。例えば、大概の国では、犬を虐待することは禁じられています。つまり、それは、犬に虐待されない権利を与えるということです。動物保護の為に、人間が自ら課した法的拘束力は、実際すでに存在します。動物の権利という用語は、すでに実践されている事を広げるにすぎません。目下、わたしは、実際動物にはもっと権利を与えなければならない、そして、人間に直接利益も無いのに、動物を傷つける時は、特に人間自身が、自分の権利を制限しなければならないと思っている人々の立場にたっています。それが、大事な点です。つまり、人権と動物の権利との間には、根本的な利害の対立があるということです。すべての種族と同じく、我々は、まず自分の権利を守ることでしょう。根本的な対立で意図するのは、当然、狩猟とか、闘牛等といったことではありません。それらは、根本的な対立ではありません。
しかし、例えば、まず月並みな例を挙げると、もし人間が捕食動物に直面したら、もちろん人間は、人間を攻撃しているトラより、当然人間に加勢するでしょう。人間が自分の健康を損なう寄生虫に直面しても、同じことでしょう。こういった利害の対立には、もっと難しいケースがあります。それは、科学的研究です。それは人間が動物を用いる場合で、動物にとって不快を伴う研究は、公平なものではありません。人間自身の健康向上の為に、注射やそういったものがあります。こういった特殊な場合、私は、動物の権利に対する支持者、それも熱心な支持者なのですが、こういった特殊な場合、人間は、動物の権利より人権を優先するだろうと思います。
 
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フラン・パルレ:動物の権利は、ある動物が他の種類に比べて、より賢いとか、ある種の動物より繊細であるという事実に関係しますか?
ジョルジュ・シャプティエ:様々な学派があります。現在主流の学派は、痛みや苦しみの概念を考慮して、動物の権利を尊重させることを目指しています。その考えとは、動物には痛みがあるから、この特殊な点において、動物を保護しなければならないというものです。これが大半の人々の根底にあるものです。はっきり要求しない人であろうと、急進的に要求する人であろうと。この分野には実に様々な学派、さまざまな立場があって、それ以上詳しく述べることはできません。それが基本です。私はと言えば、痛みや苦痛の概念が当然有効だと考える側の人間です。
まずは、苦痛の原因から動物を守らなくてはいけません。でも、それだけでは十分ではありません。言うなれば、人間は、それぞれの動物に生活様式を与えると言いますか、彼らの生活様式をあるがまま残さなければいけません。それは、結局彼らをそっとしておくのと同じことです。ただし、我々が直接関わる動物以外の場合ですが。動物には、その種の必要性に応じた生活様式を残さなければいけません。
つまり、チンパンジーの様にとても進化した動物の場合、仮に人間が作った管理された環境に、その動物を留めるように仕向けたとしたら、その時人間は、その動物に対し、十分な空間や遊ぶためのおもちゃなどを与えなければなりません。従って、それは“保護区”タイプの環境であって、我々が現在知っている窮屈な動物園のようなものではないと思います。言うなれば、動物の知的能力についてもまた考慮しなければいけませんが、それを見積るのは易しいことではありません。他の種より“ もっと賢い動物”について、見解が幾つかあります。例えば、霊長類、イルカ、象、大きな肉食動物、カラス、オウムなどです。ある種にとって、生きていくうえで必要なものを正確に定義付けること、それは必ずしも容易ではありません。それは動物の生態や動物行動学に関する知識を前提とします。そして、動物の権利という概念は、絶対的に、動物行動学の知識に基づかなければなりません。
 
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フラン・パルレ:記憶や不安の研究という、御自身の仕事の話題に戻ります。動物について、まだまだ研究すべきことがたくさんあり、それを人間についても応用できるとお考えですか?
ジョルジュ・シャプティエ:もちろんです。なぜなら、大脳のすべての現象に関しては、未だに良くわかっていないからです。記憶について、あまり良く分かっていません。私は、アルツハイマーのことを考えています。それは、寿命が延びた為、今や多くの高齢者に発症する重大な病気です。アルツハイマーを引き起こす構造についてはあまり良く分かっていません。ですから、この病気を本当の意味で、治療することはできません。人間のアルツハイマーを正確に再現することはできません。なぜなら動物は、決して完全に人間を複製することはできないからです。しかし、幾つかのアルツハイマーの影響がでている症例があります。例えば、それは、ある種のたんぱく質等によって起こる脳閉塞です。従って、動物の症例が、いずれは幾つかの病気を改善できるだろうと想像できます。
 
2012年1月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:中田芳子
指導:粟野みゆき



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