アラン・モエーヌ:自由な音2011年1月4日、アンサンブル室町は東京文化会館において「物語─出会い─」という作品の世界初演を行った。日本の楽器と西洋の楽器を融合させた作品で、アラン・モエーヌが特別に作曲したものである。フランス国立管弦楽団の芸術監督や、ラジオ・フランスでの数々の要職(フランス・ミュージックの番組担当や製作責任者など)を務めた作曲家である彼にとっても、この作品は有益な出会いの場となった。フラン・パルレ:あなたはアラン・ジョリヴェさんの教えを受けていました…アラン・モエーヌ:アラン・ジョリヴェ先生がコンセルバトワールで教えた最初の2年間、先生のクラスにいました。私は、トン=タット・ティエット、平義久、エディット・ルジェなどと共に、アラン・ジョリヴェ先生の最初の教え子です。私は、作曲とは教えられるものではないと思っています。しかし、先生はとても優しい方でした。先生のおかげで、自信を持って作曲ができるようになったのです。つまり、未熟なコンセルバトワールの学生の頃は、偉大な模範に感銘を受ける時期です。そして、それら模範を学びながらも「あ、自分にもできるかな」と自分自身で作曲したいと思うようになりました。そんな時、先生はとてもポジティブでいつでも私たちの声に耳を傾け助言をしてくれる大きな存在でした。フラン・パルレ:どんな作品、そして、どんな音楽語法に興味をお持ちですか?アラン・モエーヌ:難しい質問ですね。現代の音楽語法には全て関心があります。自分を狭い枠に閉じ込めたくないのです。現代音楽は、芸術的側面と同時に助成金などの現実的側面によってもいわば競争になっているという複雑さがあります。そんなわけで作曲家は他と区別する為に自分を定義しがちです。ただ私は、そうしたことにあまり興味がありません。自分の関心を深めていけば同時に、自分の作曲技法が確立されていくことは確かです。ただ、技法は完成されていきますが、つねに変化していくものでもあります。そのため、それについて説明は出来ませんし、したいとも思ってもいません。フラン・パルレ:微分音をご自分の研究のなかのひとつに据えておられますが、これはどういったものなのでしょうか?アラン・モエーヌ:微分音とは、クラシック音楽で用いられる音の高さの最小単位である半音よりも、さらに狭い音のことです。クラシック音楽に対する型にはまった受け取り方といったものが、ヨーロッパでは何世紀も前から、そして日本でも近年、作られてしまっているように感じます。微分音を取り入れることによって、そういった凝り固まった作品の受け取り方から離れることができるのです。微分音という、半音より小さな音の単位について考えていくことで、音楽に付きまとっている足かせを取り払わなくてはと深く感じています。微分音が切り開く可能性によって、旋律という水平的次元からも、和音という垂直的次元からも、私の生まれたヨーロッパの窮屈な音階からも自由になることができるのです。もちろん、日本の伝統音楽は事情が全く異なります。ですから、音の高さについて別の捉え方をしているアンサンブル室町に興味を引かれました。彼らの音楽は、堅苦しさがなく、変化に富んでいて、楽器の音色も柔らかなものでした。フラン・パルレ:2011年1月4日に行われた演奏では、あなたの作曲された作品が2つ演奏されましたが、今回はあなたにとって、特別な挑戦の機会だったのでしょうか?アラン・モエーヌ:私はずっと以前、40年ほど前から日本の伝統音楽に魅かれていました。ですから、今回の企画は、とても興奮するものでした。日本の音楽に興味を持って、より深く知りたいと考えていた私にとって、日本の伝統楽器を使ったアンサンブルの依頼は大変魅力的でした。お話を頂いてすぐに、ぜひ引き受けたいと考えたのです。日本の楽器の特徴や仕組みについて、自分がそれほど詳しくないと承知の上でしたが、それでも無益な間違いだけは犯さないように気をつけました。今回は、西洋人にとっての憧れであり、幻想のような幸せな機会となりました。フラン・パルレ:ラジオ・フランスやフランス国立管弦楽団でのお仕事を通して、当時の人々の求めるものはどのように変わっていきましたか?アラン・モエーヌ:フランス国立管弦楽団を辞めたのはずいぶん昔のことなので、私が言えるのはその当時のフランス人の傾向についてのみです。日本を含めた海外公演を除けば、主にフランス人を相手にしているのですから。フランスでは、交響曲のような音楽は敬遠されてきています。例えばパリでは、コンサートホールはそう簡単には満員になりません。この傾向が続けば、10年後、20年後にはどうなってしまうか大変気掛かりです。ただこのような傾向がいつまでも続くのか、それはわかりません。フラン・パルレ:現在は作曲に専念されているのですか?アラン・モエーヌ:はい、ラジオ・フランスを辞めたのもそのためです。ラジオ・フランスでの仕事はやりがいがありましたが、同時に大きな制約もありました。時間も取られてしまいますし、体力も必要です。それに、ラジオ・フランスにいたのでは、作曲家としての仕事は難しかったのです。そこでの仕事は、放送のプログラムを編成したり、演奏家と交渉したりといったものでした。色々な音楽の価値を公平に認めなくてはならないラジオ・フランスでの役割と、演奏してもらいたい作品を作曲する作曲家としての自分との両立ができなくなったのです。ラジオ・フランスにいて、フランス・ミュージックを担当していた頃は、自分の曲は流さないようにしていました。でももう、そうしたことに耐えられなくなっていたのです。いつかは終わりにしなくてはと考えていました。フラン・パルレ:作曲は毎日されるのですか。それとも自由な時間が取れた時でしょうか?アラン・モエーヌ:有り難いことに、今は、全ての時間がいわば自由な時間です。社会的な制約はありませんので、自分に合ったペースで仕事ができるのです。毎日何時間も作曲することもあれば、一休みして他のことを考えたり、物事を違った視点から眺めてみたりすることもあります。仕事に縛られたくはありません。作曲は自ら望んでしているのであって、やりたいと思った時にしているのです。2011年3月インタヴュー:エリック・プリュウ翻訳:小林重裕校閲:田賀ひかる
アラン・モエーヌ、作曲家
投稿日 2011年3月1日
最後に更新されたのは 2023年5月23日