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La francophonie au Japon

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ジャン=ピエール・メナジェ、アコーディオン奏者
投稿日 2014年6月1日
最後に更新されたのは 2023年5月23日
ジャン=ピエール・メナジェ、国境なきアコーディオン
 
サンタさんにクリスマスプレゼントとしてちょっとお願いしたことが、その人の天職としての出発点となることだってありうるのだ。アコーディオン奏者ジャン=ピエール・メナジェにとって、4歳の時、シャルトルの街のショーウインドーでみかけた小さなディアトニック・アコーディオンが、音楽に対する尽きせぬ情熱の発火点となったのである。以来彼は、ソリストとして、或はコラ・ヴォケールやムルージといったアーチストの伴奏者として、80か国以上の国々を廻って演奏活動をしてきた。
 

フラン・パルレ:アコーディオンは、フランスの伝統的楽器と言われていますが、今でもよく使用されているのですか?
ジャン=ピエール・メナジェ:ええ、もちろんです。この楽器はかなり変わっています。それは数年前、アコーディオンに関するちょっとした調査をしてみてわかったのです。「ヨーロッパのアコーディオンの集い」といった組曲の企画を頼まれて開催したのです。それはアコーディオンのとても重要な出会いとなりました。シャルトルで催され、世界中からやって来たアコーディオン奏者で溢れました。その時気が付いたのですが、どちらかというとフランスのものと考えられていたこの楽器が、全ての大陸で使用されているということにかなり驚きました。フランスよりも実際にもっと使用されている国々があるといってもいいかもしれません。アコーディオンには少々古臭い面、パリの唄、ベレー帽、小脇に抱えたバゲットといったいわばパリ風のイメージがあります。一方でアコーディオンは、ロシアやイタリアといった国では現在とても人気があります。それに、今使われているアコーディオン、我々フランス人のアコーディオン奏者が使用しているアコーディオンは、イタリアのアコーディオンなのです。20世紀の初めは、アコーディオン奏者はとりわけ、ディアトニック・アコーディオンで演奏しました。小さなアコーディオン、即ちディアトニック・アコーディオン(押し引き異音式)と呼ばれたものは、蛇腹を引いた時と押した時とでは音がたいそう違うのです。20世紀初頭、イタリア人の大移動があった時、沢山のイタリア人がフランスにやって来ました。 彼らイタリア人は石工職人が多く、大工道具の箱を抱えてやって来ました。たいていの場合、彼らはスーツケースも携えており、このスーツケースにはアコーディオンが中に入っていたものです。イタリア方式と言って、クロマチック・アコーディオン(押し引き同音式)と呼ばれるもので、今やフランス人のアコーディオン奏者は、大多数がこのイタリア方式で演奏しています。
 
フラン・パルレ:貴方は伴奏者としても活躍されていますが、アーチスト各人に対する伴奏の仕方は同じですか、それとも違うのですか?
ジャン=ピエール・メナジェ:色々変わります。アーチスト各人にはそれぞれ個性というものがあり、伴奏者個人の自我は、クロークに預けておくことが大切と言えましょう。とりわけ、伴奏しようとする人のために奉仕する精神が必要です。ガンガン弾くのではなく、アーチストよりも目立たず、アーチストを引き立てることが極めて大切なわけです。良き聞き手になろうと努め、いうまでもなく、良き音楽家になろうと、心掛けます。大切なのは、その人に寄り添って弾こうとする気持ちですね。アーチスト達は、全員実に個性が違っているからです。中には、的確な指示を出してくれるタイプのアーチストもいます。例をあげると、ジャクリーヌ・ダノもその一人で、私は彼女と数回日本を訪れています。ジャクリーヌ・ダノは舞台女優兼歌手で、楽器を何一つ弾かないので、音楽家とは呼べないまでも、彼女のうちには音楽性なるものがあり、何かしらを秘めていて、他の多くのアーチストとはどこか違っているのです。彼女は伝達技術やハーモニーの領域で、我々に指示を的確に出し、音楽を詰め込み過ぎず、風穴を開け、速度を落とすことを我々に指示します。オーケストラの指揮者に似ているかも知れません。ですから、この種のタイプのひとの伴奏をすることは、とても楽しいものです。音楽的に、最高に興味をそそられるからです。
 

フラン・パルレ:アコーディオン奏者として、貴方は別の活動も行っていらっしゃいますね、クルージングといった。。。。。。。
ジャン=ピエール・メナジェ:ええ、私は多くのアーチストの伴奏を致しました。クルージング船で沢山のアーチストの方々の伴奏もやりました。そこでは、私自身の軽音楽のオーケストラバンドを率いて、アペリティフを飲む時に雰囲気を盛り上げるのです。様々な国の演目をとりあげました。クルージング船では、色々な国の人たちに遭遇するからです。カリブ海には様々な人種がいます。沢山のフランス人、カナダ人、アメリカ人、そして、ブラジル人やコロンビア人がやってきます。色々な国民がいるので、何をリクエストされても良いように準備しておく必要がありました。それに船上には常時大勢のアーチストが招待されるので、地球の様々な地域で活躍する音楽家の伴奏をする機会となるのです。時にはロシアの音楽家がいましたし、ヴェネズエラやプエルトリコの歌手達もいました。結果、色んなジャンルの音楽が混ざりあい、触れあうことになり、極めて豊穣なものになるのです。
 
フラン・パルレ:貴方のお好きなレパートリーは何ですか?
ジャン=ピエール・メナジェ:そうですね。これと決められませんね。私は音楽そのものが大好きなのです。夢中になるのです。それは私が大のお喋りだということでご理解いただけると思います。何かについてしゃべり始めると、もう止まらないのです。私にとって、音楽は多角的なのです。一例を挙げれば、私はジャズバンドを率いていて、時々バンドのメンバー達とコンサートを開きます。ジャズが好きで、軽音楽が好きです。伴奏するのも好き、フランスのシャンソンも好きです。上手く出来たときは、実に素晴らしいものです。私は舞台音楽もやります。芝居の伴奏です。数年前に亡くなりましたが、アンドレ・タオンのパリ人形劇団と仕事をしたことがあります。タオンは、偉大な人形遣いであり、極めて稀なアーチストでした。彼から多くの事を学びました。もちろん、多少他より強く惹きつけられる音楽というものはありますが、でも、むずかしいです、分野に分けたり、音楽の中に垣根を設けたりするのは。クラシック音楽とジャズ、ジャズと軽音楽、軽音楽とロック等々、それらの境界は時にあいまいで、はっきりしていません。いい音楽というものは、至る所にあるわけですし、つまらない音楽というのもまた然りです。私は又軽音楽のオーケストラを率いていて、フランス国内で色々演奏して回っています。一方ジャズバンドも持っていて、それとコンサートを時々開催しています。私は作曲家でもあります。ずっと以前から、それは、私の大きな、大きな情熱となっています。音声付きのパリの観光出版物のために沢山の作曲もしました。またテレビ局のためにも作曲しました。音楽のために私は多くの時間をさき、毎日、10-12時間は仕事をしています。素晴らしいことに、私は仕事をしているような気がしないのです。それほどこの仕事が好きで、強制された感じがしないのです。
 

フラン・パルレ:3月に、ダンス用のCDをお出しになりましたね?
ジャン=ピエール・メナジェ:はい、社交ダンス用のCDです。最近私は、うちのスタジオにやってくる音楽家や、男性歌手、女性歌手たちのCD製作をしていました。録音もアレンジもひきうけています。すごく好きな仕事でしてね。そんなわけで、自分のCDはここ数年作っていなかったのですが、お客様から是非新しいのを出して欲しいと依頼されたのです。一時、ダンス音楽は3・4種類しかありませんでしたが、今やダンス愛好者たちは、マジソン、レゲエ、ディスコ、チャールストン、クイック・ステップなどの踊りを学び、カントリーやタランチュラも踊るようになりました。ダンスの種類が非常に増え、それで、3月にこのCDを出すことになったのです。このCDは、数年前から起こっている世相を反映する鏡のようなものです。フランスでは、ダンス熱が再燃し、今や大ブームになっています。それで、このCDを作成しました。
 
フラン・パルレ:貴方は日本出発前に、ご自身のもう一つのCDを仕上げていらっしゃる最中ですね。
ジャン=ピエール・メナジェ:オーケストレーション(オーケストラ用編曲)を一つ完成しようとしているところです。私のスタジオで、私の機材を全て用いて、ありとあらゆるオーケストレーションを試みています。それは新アルバムで、パリの音楽に捧げられています。そのCDは恐らく、「パリの絵はがき」と呼ばれることになると思いますが、パリあるいはフランスに関連する全ての歌へのオマージュです。そこで又ちょっと調べてみたのですが、おおよそパリ或はその地域について書かれた歌は、2700以上あり、そのうち、全部が全部よく知られているわけではありませんが、たぶん、100-150ぐらいは、超有名と言えるでしょう。私は約40を選び出し、最終的に、13-14の歌をそのアルバムに入れるために厳選しました。レオ・フェレ、アズナブール、モーリス・シュバリエ、ピアフ、モンタンのような超有名な歌手達によって歌われています。私はこのアルバム作成に大いに時間を費やしました。現代の多くの歌は、概して少々シンプルすぎますが、1940、50、60年代の古いフランスの歌に捧げられた音楽は、音楽的に極めて興味深いことに気づかされます。沢山の美しいメロディ、楽しいハーモニー、そして、編曲者達はというと、当時彼らはレコードを録音し、オーケストラを指揮した人たちです。音色は古ぼけてはいるものの、偉大な音楽家であったことがよく判ります。それで、私は自分自身のオーケストレーションに作り直そうとしています。そこから沢山のインスピレーションが湧いてきます。 かつて在ったいくつかのヴァリエーションを聞いて、ジャン=ピエール・メナジェ流のスタイルで、オーケストレーションを試みています。もちろん、「パリの空の下」や、モーリス・シュバリエの「パリ、ジュテーム」、「ラ・ボエーム」、レオ・フェレの「パリ野郎」なども入っていますよ。
 
2014年6月6日
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:井上 八汐
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