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クレール・ド・デュラス著、湯原かの子訳『ウーリカ ある黒人娘の恋』
投稿日 2014年2月12日
最後に更新されたのは 2016年1月12日

井上たか子 によって
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クレール・ド・デュラス著、湯原かの子訳『ウーリカ ある黒人娘の恋』
水声社、2014年1月

この中編小説はパリのある開業医が病気の修道女ウーリカから聞いた身の上話の形式を取っている。その医者が初めてウーリカを診察するために修道院の回廊を進んでいく最初のページには、読者をフランス革命による破壊の傷跡が残る時代へと引き込んでいく力がある。そして、回廊を抜けた先の庭のベンチに、大きな黒いヴェールにすっぽり包まれて腰をおろしていた病気の修道女が振り向くと、黒人であることが分かる・・・
ミステリアスな冒頭部に続くのは、一口で言えば、黒人娘ウーリカの視点から語られる恋愛心理であるが、その文学的価値については、巻末に掲載されている訳者の見事な解説「デュラス夫人『ウーリカ』について」があるので、ここでは繰り返さない。是非そちらを参照していただきたい。
筆者の正直な感想としては、黒人と白人の恋愛がもたらすアイデンティティの危機というテーマ設定の独創性に感心すると同時に、神への信仰による救済という結末に物足りなさを禁じ得なかった。1822年という創作年を考えると、止むを得ないのかもしれないが。
訳者解説によると、原作者のクレール・ド・デュラス(1777-1828)は、父ケルサン伯爵がフランス革命でギロチン刑に処せられた後、母とともに母の財産回収のため西インド諸島のマルティニクに赴いている。当時のマルティニクではアフリカから連れてこられた黒人奴隷の労働力によってサトウキビのプランテーションが経営され、富を生みだしていた。自分の母がそのマルティニクの富裕な一族の出身であったという事実は、奴隷貿易や人種差別の問題に敏感になるきっかけを与えたに違いない。
巻末にはまた、「クレール・ド・デュラス夫人略年譜」も付されており、クレールの父がルイ16世の処刑に反対したことを理由に処刑された1793年12月4日という日付を見たとき、その1ヵ月前の11月3日に同じ理由で処刑されたオランプ・ド・グージュのことを思わずにはいられなかった。

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グージュは1789年の「フランス人権宣言」(「人および市民の権利宣言」)がすべての「人」を対象としたものではなかったことを不服として、1791年に「女性および女性市民の権利宣言」を発表したことで有名である。しかし、これに先立つ1783年に『ザモールとミルザ、あるいは幸福な難破』という黒人奴隷制度を題材にした戯曲を書いていることはあまり知られていない。
この戯曲について考察した好論文があるので、ここに紹介しておきたいと思う。
押田千明「オランプ・ドゥ・グージュと「黒人奴隷制度」―『ザモールとミルザ』から「女性および女性市民の権利宣言」に至る思想の変遷」、『女性空間』28号、2011
                  (井上たか子 フランス・ジェンダー研究)

ウーリカ ある黒人娘の恋
クレール・ド・デュラス著
Ourika de Claire de Duras
湯原かの子訳
水声社、2014年1月
価格:1575円+税
ISBN978-4801000179


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