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2004年3月 フランスに根付いたアラブ音楽「ライ」
投稿日 2004年3月7日
最後に更新されたのは 2015年6月25日
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ライraï という、アルジェリア西部オラン地方で生まれた音楽があります。20世紀前半の両大戦間、都市に定住しはじめた遊牧の民ベドウィンの歌謡が、この地を通過したさまざまな音楽文化と混交して成立したものですが、今日のライはアラブ音楽といっても民俗音楽や伝統音楽のイメージからはかけ離れていて、アルジェリア独特の香りを保ちながらも驚くべきモダンな、多彩な音を聞かせてくれます。その人気はヨーロッパ、イスラム・アラブ圏、アフリカ、南米と全世界に拡がっていますが、とくに自他ともに認めるワールドミュージックの中心地であるフランスにおいては、社会内における北アフリカ・アラブ系住民の重要性もあって諸ジャンルの中でもひときわ目立つ地位を占めています。
ライのもうひとつの特徴はその歌詞の過激さです。元々たんなるかけ声から取られたという raï という名称が次第にアラブ語で「意見」を意味する単語に由来するものと感じられるようになったのは、それがイスラム道徳のタテマエをかなぐり捨て人間としての本音、苦しみ、悲しみ、愛欲をナマの言葉で歌うからです。その表現の猥雑さのため長い間卑俗なジャンル、不道徳なジャンルとして公的な場からは排除され続けていましたが、徐々に人々の支持が表にあらわれるようになり,80年代には「ライの王」ハレドKhaledの活躍によってアルジェリア全国の人々に愛好されるようになりました。西欧、特にフランスからも異色のイスラム圏文化として好意的注目を集めはじめました。
ところで1988年の大暴動-−−蜂起した若者たちはハレドの最新ヒット曲 El Harba Ouine(逃げろ、でもどこへ?)を愛唱していました−−の後アルジェリアでは、一党独裁制は倒れたものの不幸なことにイスラム原理主義勢力が台頭しました。90年代には原理主義グループのテロが猖獗をきわめ、犠牲者の数は10年間で10万人に達するといわれています。彼らにイスラム道徳に反する存在と見なされたライ歌手たちは特に危険にさらされることになりました。1994年にはカリスマ的人気を誇ったライ歌手シェブ=ハスニCheb Hasniが暗殺されるという衝撃的事件が起こっています。名のあるスターは次々と国外に逃れることになりました。皮肉にもそれがライの国際化を加速した観がありますが。
特にハレドは傑作アルバムKutch飼ュ表とアルジェリア大暴動-の起こった88年前後から既に本拠をフランスに移し、ライ国際化の地歩作りを始めていました。1992年にはDidiを世界的ヒットにしています。その後もハレドはフランスのテレビの歌番組にも、出してもらえるなら積極的に出演し、Jean-Jacques Goldman作のフランス語曲 A苗haをヒットさせ、Mylène Farmerなどの歌手とも共演し、各種のトリビュート企画に参加するなど、ライがフランスに受け入れられるために努力を重ねていきました。またハレドに続いてシェブ=マミCheb Mamiも1990年にライ歌手としてはじめてアメリカでアルバム Let me raïを録音した後、意欲的に国際的活動を展開します。スティングとのデュオ曲 Desert Roseで知らないうちにマミの美声と遭遇していたという方も多いことでしょう。
ハレドやマミが成功する姿が、フランス育ちのアラブ系二世たちに大きな刺激と自信を与えることになりました。そこから出てきたのがフォーデルです。1978年パリ郊外マント=ラ=ジョリMantes-la-Jolieに生まれた彼はその甘いマスクでフランス全国的なアイドル人気までかちえることに成功しましたが,音楽的には自らのルーツであるライを歌いこなすのにとどまらず、むしろフランス大都市郊外の諸文化混交状況の具現を志向しているのです。今日多くの若手アラブ系アーチストが彼同様、自らのアイデンティティ探索と関係付けながらライを自らの一要素としてサウンドに加え、アラブ文化だけでも西洋文化だけでもないものの創造を目指して活動しています。
1998年9月のアン・ドゥ・トロワ・ソレイユ・コンサート1, 2, 3 Soleilsは、そういう混成文化としてのライ興隆の一時代を画するものでした。このメガ=コンサートはハレド、フォーデルの二人に80年代から一貫して移民の立場を代弁した音楽活動を続けてきたラシード・タハRachid Tahaが加わって行われた合同コンサートで、フランスにおけるアラブ系音楽公認を宣言する一大イベントとなりました。
その後もハレドはパレスチナ和平を主張しながらイスラエル歌手ノアNoaと共演してジョン・レノンの『イマジン』を歌ったり、エジプトの歌手ハキームHakimとペアでアメリカ・ツアーを敢行するなどの活躍を続けていますし、シェブ=マミ、フォーデルたちもアラブ諸国と西欧諸国の両方のスター歌手との共演を試みながら活動しています。特に9月11日事件以後、ライのスターたちはフランスを足場に、西欧とアラブの掛け橋となる使命を感じながら活動しているのです。

粕谷祐己

(ライについてのより詳しい解説は筆者のサイト http://web.kanazawa-u.ac.jp/ kasuya/rai-jp.html を御参照下さい)。

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Rachid Taha, Barbès, 8431792 Nord Sud

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Mylène Farmer et Khaled La poupée qui fait non Polydor 573 872-2 py 901

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