フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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アラン・ポワリエ、パリ国立高等音学院院長
投稿日 2005年5月1日
最後に更新されたのは 2017年4月7日
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アラン・ポワリエ:明日の音楽家を育てる
 
ベルリオーズやドビュッシー、ラヴェル、メシアン、ブレ、その他の偉大な音楽家たちも、かつて厳しい入学試験をパスして、パリ国立高等音楽院・舞踏院、通称パリ音楽院で学びました。音楽院長のアラン・ポワリエ氏もまたここで学び、アシスタントを経て、教授、学部長となり、2000年9月院長に就任しました。人生の大半をここで過ごしたといっても過言ではありません。長い伝統を守りながらも時代にあった学院であり続けることに、彼は全精力を注いでいます。この新旧の共存は、音楽やダンス、音楽業界のプロを育てるうえで非常に重要なことなのです。
 
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Photo:DR
フラン・パルレ:パリ国立高等音楽院創立のコンセプトは、フランス革命を受けてできたものですか? それとも王立音楽アカデミー時代から続くものですか?
アラン・ポワリエ:革命の影響が強いです。なぜなら、音楽院はもともと、軍隊で音学を奏でる目的で創られたものだからです。ですから、最初の年は吹奏楽や打楽器の授業ばかりでした。しかし急速に、2、3年後には広がりをみせました。他の楽器のカリキュラムもでき、少しずつ内容豊かなものへと変わっていきました。19世紀になってすぐ、つまり創立後たった5年で音楽院は発展し、現在のカリキュラムのほとんどがすでに存在していました。
 
フラン・パルレ:あなたが作曲家デュティユーについて詳しい理由は・・・
アラン・ポワリエ:一つ目に、アンリ・デュティユーの曲を、私は大変きれいな音楽で、素晴らしいものだと思っているからです。それと、現在彼の本を書いている最中で、彼が90歳の誕生日を迎える来年に発表することが二つ目の理由です。また、日本の私と同業の人たちが、彼の音楽を称賛しているということもあるからでしょうね。日本人は、フランスのクラシック音楽が大変好きで、中でもデュティユーの音楽はひと際目立つ存在で、現在日本でよく聴かれています。
 
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Photo: Martin Callias-Bey
フラン・パルレ:コンセルヴァトワ−ル(音楽院)というと、コンセルヴァシオン(保存・保守)という意味を考えてしまいますが・・・。古いものを守るということは、大切なことですか?
アラン・ポワリエ:この言葉の使い方は、間違っていると思います。コンセルヴァトワ−ルは、コンセルヴェ(保守する)という意味ではありません。この言葉は、イタリア語に語源があり、フランス語のコンセルヴェとは意味が異なります。そうでなくては困ります。なぜなら、音楽院は、現代のものでなくてはならないからです。単に今日のものであるだけでなく、未来を予見するものでなくてはなりません。つまり、明日の音楽を考えるだけでなく、明日の音楽家たちのありかたも考えなくてはならないのです。私たちが育てているプロの音楽家たちにとって、“未来”が重要なポイントとなっているのです。
あなたの言うとおり、音楽院では伝統を大切にしています。グレゴリオ聖歌から現代音楽までを教えているので、相当長期にわたる幅の広いものです。ですから、クラスや学科によっては、10世紀以上ものレパートリーがあります。
もう一度言っておきたいのですが、私たちが最も注意を払っているのは、学院が未来へ向かうものであるべきだということです。音楽院を卒業してからの生徒たちの進路が、私の最大の課題です。ディプロマをとってから何になるか。これが重要なポイントなのです。
 
フラン・パルレ:音楽院を卒業した生徒たちの進路の世話をしますか?
アラン・ポワリエ:在籍中に最高の指導をしているという意味もあり、彼らの卒業後の世話までは、ここのシステムには組み込まれていません。面倒をみないということではなく、もちろんできることはするようにしています。しかしイレギュラーにです。むしろ、私たちは出来るだけ彼らが自立するように教育しています。長い目で見た時、誰かの面倒をみ続けることが、必ずしも良いことではないと私は思っております。社会の中で彼らの活躍する道をつくってあげることは、素晴らしいことであるのは確かです。しかし、ディプロマを取得した生徒たちは、強力な武器を持っているようなもので、この厳しい社会で自分に合った職業を自分でみつけられるでしょう。そのように完璧に教育されているのです。
 
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Photo: Philippe Gontier
フラン・パルレ:音楽院は、どのような人のためにあるのですか?
アラン・ポワリエ:非常に専門的な教育をする機関ですので、入学試験はとても厳しいです。一般的な話をすると、毎年1500人もの志願者がいて、全てのクラスの定員は、ほんの限られたものです。その中からだいたい10—15%の人を受け入れるので、毎年150から180人の人が入学します。ですから、一人一人が猛勉強をして、この試験に臨んできます。合格すると、彼らは最高レベルの特別な教育を受け、厳しい訓練を強いられます。その結果、必然的に99%の人が未来のプロとなるのです。途中で進路を変える人もいるかもしれませんが、オーケストラの演奏家、ソロ奏者、教授など将来のプロフェッショナルになるのです。彼らは、明日を担う音楽家たちなのです。
 
フラン・パルレ:授業はどのように行なわれますか。
アラン・ポワリエ:もちろん学科ごとに行なわれるのですが、主となる教科は楽器、教育学、それに作曲などで、全部で180ものカリキュラムがあります。比較的、個々に授業が進められていくことが多いです。それと、共通カリキュラムがあります。全ての学生に通ずる基礎的なことをここでは学びます。ソルフェージュや音楽史、ダンス技術をマスターすることが、この内容です。全学生はそれら共通カリキュラムを終えた後、自分の専門とする楽器や分野に分かれて授業が行われます。学科によって、専門的に学ぶことが変わってきます。
 
フラン・パルレ:外国からの学生も受け入れていますが、どれくらいの割合を占めていますか。
アラン・ポワリエ:現在、17パーセントが外国からの学生で、40カ国から来た人々です。音楽院で学ぶために世界中からやってきているのです。中でも日本人の学生の数が最も多いです。あらゆる学科に約80人もの日本人が在籍しています。
 
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フラン・パルレ:なぜそんなに多いのですか?
アラン・ポワリエ:日本とフランスの間には、昔から深い結びつきがあったからです。教授の交換をしたり、作曲家が二つの世界大戦の合間に音楽院に学びに来たりしました。池ノ内友次郎が有名な第一人者です。他の作曲家たちも、メシアンや他の教授から学ぶためにフランスに来たり、反対にフランス人の教授も日本に定期的に行っていました。マスタ−クラスで教える者や、長期にわたって教える者もいました。もう一つの理由は、もっぱら芸術と美学の面において、とくに音楽に関しては、日本とフランスの間に両者を強く惹きつけてやまないものがあるのだと思います。ドビュッシーやラヴェルの音楽を日本人が好むように、この二つの国の音学には、似通った繊細なハーモニーが存在しているのです。日本人の精神と文化の中に、同様の旋律が流れているのだと思います。フランスと日本にある強い共通項は、ここにあるのではないかと私は考えています。
 
2005年5月
インタヴュ−:エリック・プリュウ
翻訳:三枝亜希子
協力:ローラン・テシュネ



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