フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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ロジェ・ソンヴィル、ベルギー人画家
投稿日 2004年7月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
ロジェ・ソンヴィル:反逆の社会派アーティスト
 
メルシャン軽井沢美術館で現在、ベルギーの画家ロジェ・ソンヴィル(1923〜)の回顧展が開かれています。
彼のもつ芸術観について、情熱的なお話をうかがうことができました。
 

フラン・パルレ:あなた自身、ピカソの影響を受けたと思いますか?
ロジェ・ソンヴィル:1920年代に生まれた私と同世代の芸術家は、みんなパブロ・ピカソに少なからず影響を受けています。1940年代に、20歳になっていた私たちは、当時の現代アートのシンボルになっていたこの偉大な画家に注目していました。大作『ゲルニカ』を含め、特に1925年から1930年にかけての彼の作品を私は気にいっています。ピカソと同時に、私はメキシコの芸術、シケイロスやオロスコ、ディエゴ・リヴェラといった作家の壁画にも大変興味を持っていました。私の画家人生に影響を与えたのは、この二つのアートだったと思います。もちろん私の国ベルギーにも好きな画家はいますよ。アンソールやコンスタン・ペルメークなどです。
 
フラン・パルレ:ピカソからメキシコの絵画に興味が広がっていったいきさつは?
ロジェ・ソンヴィル:1945年から46年、第二次世界大戦が終わったら、世界が変わるだろうと私は信じていました。民主主義の世の中に変わり、絵画を通して大きなメッセージを送れるだろうと思っていたのです。ところが、そのように変わるどころか、世の中は、ますますひどいものへと変化していきました。今私たちが生きているこの世界です。ですから、ベルギーのアンカール駅の巨大な壁画『我等の時代』やルーヴァン・ラ・ヌーヴ大学の壁画、大きなタペストリー『平和の勝利』に私自身のメッセージを託しました。
 
フラン・パルレ:「平和」は、いまの時代に最もタイムリーな問題ですね。
ロジェ・ソンヴィル:この世の中は、次第に破滅へと向かっているような気がします。自ら崩れていっています。いまこそ、人々がこの世の中について真剣に考え、平和について語るときなのです。資本主義システムが存在する限り、人類に素晴らしい未来が訪れることはないでしょう。
 
© Roger Somville

フラン・パルレ:芸術が平和の構築に寄与することができると思いますか?
ロジェ・ソンヴィル:芸術は革命を起こしたことはありません。しかし、芸術は、人間の思考や視野を広げることができます。学校には、芸術の授業が少ないと思いませんか。学校教育一般についての話です。なぜ? それは、学校は考えるための場所ではなくて、学ぶための場所だとされているからです。アートは思考して、創作するものなので、学校から排除されてしまうのです。アートは、人類の記憶です。もしもギリシャ芸術が存在しなければ、発掘されたギリシャの錆びた古い楯や剣の一部といったものは、歴史的な価値をもたない単なるガラクタに過ぎなかったのではないでしょうか。
 
フラン・パルレ:どんな手法で描く作品がお好きですか?
ロジェ・ソンヴィル:油絵やアクリル画をよく描きます。キャンバスにアクリル絵具で描きます。最近の大きな二つの壁画作品もアクリル手法です。デッサンには、よく墨を使います。パステル画も描きますよ。取り組むテーマによって手法は変えています。
 
© Roger Somville

フラン・パルレ:今回の展覧会では、「画家とモデル」という題材の絵が多いですね。
ロジェ・ソンヴィル:このテーマで絵を描いている画家はたくさんいますよ。私はいくつもの絵を描き、何人もの女性を描いてきました。なぜなら私は、世界で最も美しい風景は、女性の肉体だと考えているからです。これまで幸福をテーマにしたものや、戦争に反したもの、私たちが生きている社会のシステムを批判するものなど、様々なテーマに取り組んできました。60年間、それだけをやってきました。2000ものキャンバス、タペストリー、壁画、3、4000ものデッサンを描いてきました。随分と多くの作品を創った人生だと思います。
 
フラン・パルレ:タペストリーを製作する画家は珍しいのでは?
ロジェ・ソンヴィル:ベルギーが、(ナチスドイツの占領軍から)解放された後、1946年に、私はベルギーの街、トゥルネイのタペストリーの修復活動に参加しました。壁画をやってみたかったからです。しかし、色々と困難なことがありました。トゥルネイにやってきたものの、4、5年後にはうまくいかなくなりました。しかし、私の作品「平和の勝利」を仕上げるまで、やり続けました。私が最後に創作したタペストリーは、メルシャン軽井沢美術館に置いてあります。
 
フラン・パルレ:今後の美術館での予定は?
ロジェ・ソンヴィル:ソンヴィルファンデーションという財団があり、私の作品を展示する場所を探しています。なぜなら作品のほとんどは私の自宅に置いてあるからです。ブリュッセル出身ですので、展示するならブリュッセルがいいと思っていますが、今後のことははっきりとは分かっていません。
 
Roger Somville, Le peintre
© Roger Somville 1993, crayon noir sur papier, 65 x 50 cm

フラン・パルレ:あなたの思想が原因で、簡単には受け入れてもらえなかったのでは?
ロジェ・ソンヴィル:はい、その通りです。私を嫌いな人は多いでしょう。私は、考えていることをいい、描きたいことを描いています。ですから私の作品は、絵画の流行からはまったく無縁のものです。
パブロ・ピカソがかつて言った「私の絵画は家を飾るためのものではない。敵に対する武器だ」という意見に賛成です。誰が敵か? これが問題です。ピカソは自分の作品の中で、この問いに答えています。ピカソはリベラルな思想と理想を持った人でした。自由主義者で、現実の社会に異議を唱えるアーティストでした。いろいろな意味で現代アートを象徴する画家にもかかわらず、反逆の社会派でした。異端視されていました。
巨大なメキシコの壁画もこれと同じです。なぜなら、絵画の世界の流行からはかけはなれたものだからです。人々がこう考えなければいけないと思っていることに反したとき、社会に反逆したとき、絵画の流行から外れたとき、排除され、罰せられるのは当たり前です。それを選択したからです。私は文句は言いません。私は描き、考えなくてはいけないことを考え、描き続けています。他のことはどうでもいいのです。
ギャラリーに怒りをぶつけたこともあります。ギャラリー側がこういうアートをやってくれと注文をつけてきたからです。本当にぞっとします。私はギャラリーに、「これが私の作品です。興味ありません? はい、さようなら。あなたのことなど必要ありません。」と言ってきました。世間の目や思惑を必要としないということは、芸術にとってとても大切なことです。
私のアトリエに来て、4メートル、5メートル、10メートル四方の400もの大きな作品を見たとき、「なぜこのようなものを描いたのですか?」と聞かれます。私は、「こうすることが必要だったからで、私自身の楽しみのためにね」と答えるようにしています。アートのマーケットは、私にとってどうでもいいことなのです。マーケットは、芸術とは全く関係のないものです。売れる作品が、真のアートとは私は思っていませんから。
 
2004年7月
インタビュー:エリック・プリュウ
翻訳:三枝亜希子
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