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アラン・コルノー、映画『畏れ慄いて』監督
投稿日 2003年12月1日
最後に更新されたのは 2017年4月28日
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アラン・コルノー、映画『畏れ慄いて』監督
 
ベルギー人女流作家、アメリー・ノートン作の『畏れ慄いて』は、作者自身が日本の大企業に勤めたものの、日本独自のシステムに溶け込むことができなかったというストーリーです。しかしこの内容に反感を抱いた読者もかなりいたようです。
本は映画化され、今年のフランス映画祭横浜で上映されました。監督のアラン・コルノー氏に話を聞くことができました。
 
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©Franc-Parler
フラン・パルレ:どのようにしてこの映画ができたのですか。
アラン・コルノー:私は、日常生活の中に存在する矛盾をテーマに映画をつくりたいと思っていました。旅をするのが好きで、世界各国をまわり、異文化に触れてきました。そうすることで、自分自身を発見することが少なからずできたと思っています。気に入ってる国を旅したときに、映画を作ろうという発想がわいたことは一度もありませんでした。しかし本との出会いが映画につながることもあります。以前、他の作家の『ノクチュン・インディアン』を読んだとき、映画にしたいと思いました。その後、アメリーの『畏れ慄いて』に出会い、これは面白いぞ!と感じました。数ヵ月後、もう一度本を手に取り、そのとき映画にできるとひらめいたのです。その本が日本について書かれたものだからかと思うかもしれませんが、実はこの本は特別日本のことを書いた本ではないんです。ヨーロッパの人は日本の文化と自分たちの文化をよく比較します。そして、それぞれが自分の感じたいように文化の違いを解釈するのです。
私が面白いと思ったことは、アメリーが日本社会で、暗中模索しながらも最後に自分自身のアイデンティティーを発見するところです。彼女にとっては論理にかなっていなくて、風変わりな日本のしきたりの中での経験も、結果的に素晴らしい財産となったのです。映画の舞台となったのは、単純にオフィスだけです。この映画は良い素材、条件が重なってできあがりました。
 
フラン・パルレ:映画はフランスで撮影されたのですか?それとも日本で?
アラン・コルノー:最初どちらとも決めていませんでした。東京とパリで試し撮りを始めたのですが、背景はやはり東京で撮りたいと思いました。しかし経済的な問題で・・・東京でよい場所は見つけられませんでした。窓から見た風景で舞台になりそうなものもありませんでしたし、予算にあわなかったのです。しかし、パリで、設備の整ったワンフロアーが奇跡的に見つかりました。こうして撮影が開始されました。偶然の成り行きで決まったことで、特に日本で撮影しないと決めていたのではありません。日本では京都の龍安寺で撮影し、残りの全てはパリで撮りました。
 
フラン・パルレ:本の中でも全ての物語は一つの場所で繰り広げられるのですか?
アラン・コルノー:ええ。本の中では完全に一つの場所が舞台です。アメリーはその小さな一つの空間が社会全体を表してるという考えをもっています。映画の中で「会社の中にしかあたしの生活がないなんて思わないで」というフレーズがあります。私はその部分を大事にしました。確かに彼女は会社の中での出来事を書いているので、映画でプライベートな生活まで描く必要はないと思いました。それに会社の中にある階級的秩序というのは永久に不変のものです。
本にはなく、私が付け加えたシーンに、龍安寺の石庭があります。私が感銘を受けた場所で、世界でも有数の素晴らしい場所だと思います。彼女は本の中で、子供の頃の歓びを再び見つけたいと言っています。(日本で生まれたベルギー人の)彼女が、「日本人になりたい」と言うのですが、それは「子供の頃に戻りたい」と言っていることなのです。誰しも同じような思いを少なからずもっているのではないでしょうか。
そこで幻想的な龍安寺の石庭が思いつきました。ヨーロッパ人、もちろん日本人にだって龍安寺はミステリアスな場\所で、色々なことを想像したくなる場所なのです。しかし誰も彼女が実際にどういうことをそこで考えたかを知ることはないと思います。そこに、ニッポンという国に存在する言葉に表せない魅力があるのではないでしょうか。
 
フラン・パルレ:アメリー・ノートンとは撮影中にコンタクトをとり続けていましたか?
アラン・コルノー:はい。私はたくさんの著者と仕事をしてきました。作家は大好きで、私はいつも、仕事を一緒にしないかと声をかけてきました。作家は色々なことを教えてくれます。脚色の話をすると、すぐにノってくるタイプの人と、どうしたらよいか分からないと躊躇する人がいます。アメリーは後者のタイプでした。そういう人にはきちんとシナリオを前もって渡して、意見を求めるようにしてきました。アメリーにももちろんそうしましたし、彼女には撮影中から映像を見せるようにしました。
 
フラン・パルレ:映画『戦場のメリークリスマス』の場面を取り入れてましたが。それも本の中にあったのですか?
アラン・コルノー:本ではその映画のことを回想していました。アメリーはこの映画に強い影響を受けています。彼女が書いた何冊かの本には、いつも同性同士で惹かれあったり、憎しみあったり、反発したりする人間関係が描かれています。サドマゾのようにとる人もいるかもしれませんが、もっと奥の深いもので、ホモセクシャルを超越したものです。文化の違い、人間性、そして自分自身に向き合うことを性別を超えて表現しているのです。『戦場のメリークリスマス』のテーマとなっていることです。映画の中では出演者の坂本龍一、デビッド・ボウイなど、実際の『戦場のメリークリスマス』の映像も取り入れています。
 
フラン・パルレ:主人公は随分と特別な人物のように描かれていますが。
アラン・コルノー:かなり変わった主人公で、作者のアメリーそのものです。彼女は想像力豊かで、書くことが大好きで、常に何かを書いています。少なくとも50冊ほどの本を書いたのではないでしょうか。フランスでもよく知られているのは、彼女のベルギー的な部分です。というのは、自分自身を嘲笑するユーモアを持っていて、そうすることによって自分自身を分析しているのです。それはフランス人のやりかたとは異なり、とてもベルギー人的なものだと思います。日本のミステリアスな部分をよく理解するよりも、こちらの方がもっとやっかいなものかもしれませんね。
 
フラン・パルレ:では、映画にはベルギーと日本、二つの国の不思議が隠されているのですか。
アラン・コルノー:そうです。アメリーのもつ哲学は分かりやすいのですが、ミステリーに包まれています。ユーモアにあふれていますが、コメディーとは違います。しかし面白いのです。これはフランス人が苦手とする分野ではないでしょうか。本に書かれた状況を映画化しましたが、それが観客に面白く映れば、それはそれでいいと思っています。意図的に喜劇を作ろうとはしませんでした。
 
フラン・パルレ:日本の観客はどのように反応すると思いますか。
アラン・コルノー:日本人の反応は全く想像できませんね。ただ、日本人が同じようにフランス企業における体験を皮肉を交えてつくった場合、フランス人はどのように感じるかということを考えました。私は、この映画を作りながら、実はこれは、日本に対しての愛情の告白だと感じました。私だけでなく、アメリーも本の中でそれを表現していると思います。映画をよく理解してくれた人は、きっとそれが本当のことだと分かってもらえるのではないでしょうか。
 
2003年12月
インタヴュー:エリック・プリユウ
翻訳:三枝亜希子



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