ジャン=ピエール・リモザン:日々新しく1998年、ジャン=ピエール・リモザン監督は、北野武、吉川ひなの、武田真治を起用し、都会の二人の若者の出会いを描いた映画『Tokyo eyes』を作りました。最新作『NOVO/ノボ』は、主人公イレーヌ(アナ・ムグラリス)が、記憶が数分で脳裏から消えてしまう男グラアム(エドゥアルド・ノリエガ)になんとか自分を記憶にとどめてもらおうとし、愛し続けるストーリーです。映画を見ると、記憶を失うことが、必ずしも不幸なこととは限らないようです。監督に話を聞いてみました。フラン・パルレ:日本のどういうところに興味がありますか。ジャン=ピエール・リモザン:日本には、結構、昔から来ているんですよ。最初に来たのは1981年です。ビデオアートの勉強をするためにやってきました。あまり人には言っていないのですが、当時、私はビデオアートを少しばかりやっていたんです。ビデオがまだ出始めのころでしたので、ずいぶんと重く、使い方もややこしかったものです。当時のフランス外務省がアーティスト同士を刺激しあうために、この旅行を計画しました。ちょうどミッテランが大統領になった81年の5月でした。滞日中、面白いことを発見しました。どこだったかはっきり覚えていませんが、東京の郊外の町で、家という家にケーブルが通っていたんです。光ファイバーのケーブルです。各家庭には小さなカメラがあって、まあ、最近のパソコンに取り付ける小さなカメラの前身とでもいいましょうか、でももっと複雑なものでした。端末器とビデオをつないで使うものでしたので。そして、ローカルテレビ番組にこのビデオカメラを駆使したものがあったんです。朝とても早くに、その町に行ったとき見かけました。テーマは町の教育問題でした。小さな機器を使って、ビデオスタジオに電話をかけるんです。その機器はフランスのミニテルに似ていますが、もっと本格的なものでした。そしてカメラを使って討論に参加できるというものでした。画面は二つに分割されていて、スタジオと一般の家庭が映る仕組みになっていました。面白いでしょ。朝の早い時間なので、家の掃除なんかまだしていません。だから皆、絵画など、整ったものを映すように工夫していましたよ。そうしてから電話で討論に加わるのです。その後、この番組はどうなったかは知りませんが、ビデオを使った素晴らしい試みだったと思います。フラン・パルレ:それ以来、たくさんのドキュメンタリーを作っているようですが・・・ジャン=ピエール・リモザン:その後、ヴァカンスで何度も日本を訪れています。来る前に3年間、日本語も勉強しました。全部忘れてしまいましたけど・・・。83年に初めて映画を撮りました。確か85年だったと思いますが、第一回東京国際映画祭のヤングシネマ部門に出品しました。グランプリの賞金は相当な額だったのですが、残念ながら受賞できませんでした・・・。そこに選ばれていた映画は本当に素晴らしいものばかりでしたよ。83、85、そして88年にフィクション映画を作り、その後10年間ドキュメンタリーに専念するため、フィクションを休んでいました。そして、『Tokyo eyes』という映画を東京で製作することで、フィクション映画を再開しました。フラン・パルレ:なぜまたフィクションに?ジャン=ピエール・リモザン:私自身、作る必然性を感じたからです。集大成というわけではなく、映像というものや、私自身に対する自己分析のためです。フィクションから離れていた間、写真や文章、ドキュメンタリー作りに力を注いでいました。そして、日本人の俳優と東京でフィクション映画を作るという回り道をしながら、現在に至りました。その結果、フィクションの感覚を再発見し、今回の映画『NOVO/ノボ』を作ることができたんです。また他のフィクション映画の構想も沸いてきました。フラン・パルレ:『NOVO/ノボ』はエロチズムをテーマに選んだのですか。それとも記憶の問題をテーマに?ジャン=ピエール・リモザン:いいえ。むしろ官能と言ったほうがいいです。まあ、エロチズムと言われれば、それまでですが・・・(笑)それを核となるテーマに選び、シナリオを付け加えたのです。今まで描かれたことがないであろう、まったく新しい男の行動に着目しました。主人公の男は記憶に問題があるため、恋人を愛するとき、いつだってそれが初めてであるかのように振舞います。彼は、愛し合った記憶さえも失ってしまうのですから。私は、単純に欲望の記憶喪失について語ってみたかったのです。そうすることで、新鮮味を欠くことなく、常に違うことにトライしてみる男を描くことができました。フラン・パルレ:映画の宣伝チラシは、フランスのものと日本のものでは違っていますが・・・ジャン=ピエール・リモザン:ええ、まったく違います。日本のチラシを大変気に入っていますよ。フランスのものは全責任を私が持ったのですが、腕のいいカメラマンに、映画の撮影中に写真を撮ってもらい作りました。一般的に映画の宣伝チラシの場合、写真のクオリティーには気を配らない傾向があるようですがね。それに、背景を白にすることで、通常の映画広告とは全く違うものにしたかったんです。そうすることで柔らかく、落ち着いた雰囲気になりました。一方、この日本のチラシはホットで、鮮やかな色を使っています。官能的なこのチラシに満足しています。日本のスタッフが作ったこのチラシの中で、感心したことがあります。実は、主人公の女が太腿にマジックで文字のようなものを書いている部分を、ちょっと変えてあるんです。まるで消えかけた文字のようにも、不器用な筆跡のようにも受け取れます。映画のストーリーを連想させる、実に素晴らしいものに仕上がっていると思います。フラン・パルレ:広告では、シャネルのモデルであるアナ・ムグラリスにばかり焦点が当てられているようですが。ジャン=ピエール・リモザン:日本では、そのようですね。ここではヨーロッパの女性たちのように、エドゥアルドの外見にそれほど惹かれないのでしょうか。この映画の撮影後に、ラガーフェルドやシャネルを象徴する顔となった彼女の方に興味があるようですね。アナはもともと女優で、シャブロル監督の映画の中で、私は目をつけました。彼女の持つ声に、はっとしたんです。ハスキーなとてもセクシーな声だと思いました。その後、彼女は二本の映画に出演しました。芸術学校の学費を稼ぐため、ファッション誌でモデルをし、世間に注目されはじめました。フランスのマリクレール誌の表紙にもなりましたよ。フラン・パルレ:この映画は、カトリック教会の怒りに触れることはないとは思いますが、教会の教えに反するような気がするのですが。ジャン=ピエール・リモザン:教えに反しているとは思いません。リヨンに本部があるカトリックのラジオ局とは、私自身色々と仕事をしたことがあります。ディレクターは映画通でしたので、何度も私を番組に招待してくれました。今回はダメかなと思いましたが、彼らはこの映画が開放的で、人間の肉体へのピュアな視点を表現していると捉えたようです。主人公の女が自分の欲望を認め、素直に受け入れることに困惑しなかったようです。まあ、これは神父が言ったことではありませんが・・・フラン・パルレ:映画の中の男が、数分後に全てを忘れてしまう記憶喪失について話してください。ジャン=ピエール・リモザン:オーバーに描きましたが、実際に存在することです。しかし、ストーリーの中に取り入れることによって、病気だけがクローズアップされないようにしました。この病気はあまりにも深刻なものなので、エロティックな映画の中で軽々しくそれについて語ることはできませんでした。その症状とは、10分とたたないうちに、さっきまでの記憶を失ってしまったり、時には覚えていたりと非常に不規則なものです。今まで愛情表現をこういう視点から表現した映画は、なかったと思います。私は、病気のふりをしているかしていないか、ぎりぎりのところを描きたかったのです。つまり、最も素晴らしい愛人や恋人になるために、男だろうが女だろうが、どういう人を愛するにしろ、全てを忘れ、一からスタートする。まるで何もかもが、新しく誕生して昇ってくる太陽のようで、初めて共に迎える朝のように。全てが初めての経験であるかのように。常に新鮮な心を失わない人間がそこにいると感じさせること。そういう意味から、この映画が、宗教家の厳しいモラルを逃れることができたのではないでしょうか。2003年6月インタヴュー:エリック・プリュウ翻訳:三枝亜希子
「NOVO/ノボ」 派遣社員としてオフィスに送られてきたイレーヌ。そして彼女を案内するグラアム。二人はすぐに恋に落ちる。しかしグラアムは5分で記憶をなくしてしまうという症状を持っていた。マンネリや惰性とは無縁な、新鮮な気持ちで接する事の出来る彼に今までにない充実感を得るイレーヌだが、自分の事を覚えていない彼に不安を抱くようになる。
監督:ジャン=ピエール・リモザン 出演:アナ・ムグラリス、エドゥアルド・ノリエガ、エリック・カラヴァカ
2002年/カラー/98分映画監督ジャン=ピエール・リモザン:日々新しく