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フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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Rédacteur en chef: Éric Priou
Rédaction: Karen, Shigehiro Kobayashi, Utako Kurihara, Rika S., Hikaru Taga

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ブロ・ヴァルクール&アゾール:激しく鼓動する二つの心
投稿日 2019年8月30日
’遅くなっても、何もしないよりまし’
このFPのインタビュー記事は、インタビュー直後ではなく、後年(2019年8月)、掲載・翻訳されたものである。
 
ブロ・ヴァルクール&アゾール:激しく鼓動する二つの心
 
ハイチ・日本修好50周年を記念して、マルセル・デュレ在日ハイチ大使のご尽力により、国際舞台で活躍する大物コンビ二人が、日本に招聘され、各地を共に演奏して回ることになった。パワフルな声の持ち主で太鼓奏者のレノール・フォルチュネ通称アゾールは、電気楽器等に頼らずに、ブードゥー教の伝統を舞台化するグループ、ラシーヌ・モープ・ド・アゾールの創設者です。彼は、フランス語での質問に、クレオール語で答えます。一方、歌手でギターリストのブロ・ヴァルクールは、どちらかというと、音楽リサーチが専門で、異なるジャンルに造詣が深い。彼等のコンサートを聞き逃した人達は、この二人の共同作業の結果生まれた、”スース・ラ・ケ”というCDアルバムを入手してみてはいかがですか。
 
フラン・パルレ:このCDを出された動機は?
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):アゾールは(クレオール語で)こう言っています。日本は、とても好きな国です。ファンも多いです。それで、今回日本に来るに当たって、何か彼は日本に記念の品を残したいと思い、このCDを持ってこようと思いつきました。
 
フラン・パルレ:どんな曲が入っているのですか?
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):アゾールは、ここ日本のファンが好む歌を色々選びました。その中に、「スース・ラ・ケ」という曲が入っていますが、それは彼の作曲したものの一つです。
 
フラン・パルレ:貴方は、ご自身の曲を歌っていらっしゃいますが、ハイチの伝統的な歌も歌われていますね...
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):おっしゃる通りです。ハイチの文化にまつわるレパートリーの中で彼が選曲した歌と、彼が作曲した別の歌も色々入っています。
 
フラン・パルレ:ハイチの伝統音楽の主題、テーマといったものは何ですか?
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):アゾールは、「スース・ラ・ケ」を一例として挙げています。それは、やがては水脈を広げて川となる小さな泉のことを歌っています。人生というものは、この一滴の小さな泉から始まるのだ...やがて、その泉は、村を横切り...というように。ハイチの伝統音楽には、このようなメッセージ性が込められています。慎重さが大切と語っています。とりわけ、様々な教訓の類です。それはまた、軍歌でもあり、《戦い》について語っています。
 
フラン・パルレ:貴方は太鼓奏者です。貴方の演奏する楽器について、少々伺いたいのですが。
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):彼にとって、太鼓は家族の一員のようなものです。愛娘とでもいいましょうか。太鼓はまた、ハイチ音楽の象徴で...、ご存知のように、ハイチでも、様々な問題が山積しています。太鼓をたたくことで、問題に立ち向かう力が湧いてくるのです。太鼓は、一種のエネルギーの源なのです。太鼓を叩き始めると、全ての問題が吹き飛んでしまいます。そして、我々にとっての“ビート”は、我々が太鼓を叩く時に、我々の頭上を過ぎ去る瞬間のリズムなのです。まるで我々は、時間そのものと足並みを揃えて太鼓を鳴らしているかのようです。
 
フラン・パルレ:今度は、ブロ・ヴァルクールにお尋ねします。貴方の音楽スタイルは、少々違っていますね。その音楽活動について聞かせて頂けませんか?
ブロ・バルクール:私は、ハイチの人達とはかなり違った道を辿ってきました。当初から、トルバドゥール(アコースチックギターを使って演奏するハイチ音楽の一種)風の音楽を始めました。次に、イエイエ時代が来て、私はロックンロールをやったりしていました。それから、ニューヨークに行き、ジャズをやり、ジョージ・ベンソンのような超有名なギターリスト達に遭遇し、友達になり、一緒に演奏もしました。それから、ハイチにカリビアン・セクステットというグループを結成しました。それは、現在も上手く活動しています。ツアーも色々しました。ニューオーリンズに遠征し、ニューオーリンズ・フェスティバルに参加して、大デビューを果たしました。私自身は、キュラソー島にも行き、国際トルバドゥール・フェスティバルで、37か国中、トルバドゥールで1位に入賞しました。初参加の年は、1位でしたが、2年目は、2位でした。現在の私の活動は、第2ステージに移行するところで、友人達に同行するということをやっています。私は、ブロ・ヴァルクール基金というものを立ち上げ、色々なリサーチをして、若いハイチのタレント達のプロモーションに力を注いでいます。その民間セクターの基金のお蔭で、私達は、2004年に行われるハイチ独立フェスティバルの準備が出来るのです。
 
フラン・パルレ:さて、再び、お二人を日本にお迎えすることになりました...
ブロ・ヴァルクール:私達は、長い間、共に演奏活動をして来ました。殆ど一緒に、世界一周をしています。アフリカ、アメリカ、日本、スペイン、フランスを共に訪れました。その他一緒に多くの国々も回りました。カリブ諸島、マルチニーク島、グアドループ群島、そして、南アメリカへも一緒に行きました。チリもコロンビアにも行きましたが、残念なことに、ブラジルにはまだ行っていません。でも、いつかは実現させたいと思います。ブラジルを訪れることが、私達の夢なのです。ともかく、遠征は楽しいです。お互いに出会える何か催し物がある度に、私達は喜んで参加しています。アゾールだって、旅行中は、彼のグループ活動を休止します。つまり、私達二人で参加するということは、彼はグループの長、私も然りということなので、このツアーを実現させるには、ハイチにある二つのグループ、しかも、とても人気のある二つのグループの活動を中断することなのです。そうするのも、ハイチの音楽を、国境を越えて紹介することの大切さを考えるからです。
 
フラン・パルレ:解かりました。アゾールに再びお聞きします。これからは、質問を交互に致します。アゾール、貴方はいつ太鼓を始めたのですか? そして、その動機は?
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):アゾールはこう言っています。彼は、母親が音楽家だったような家庭で育ちました。母親は、父親といっしょに、同じトルバドゥール・グループで演奏していました。彼は、そんな環境で大きくなり、将来何になろうかと模索し、選んだのが、太鼓だったのです。家の中で、しょっちゅう家族同士で演奏しあう仲でした。そのような環境で、自己研鑚を積み、切磋琢磨するよう努力して来ました。
 
フラン・パルレ:アゾールという名前の由来は?
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):アゾールというサッカーの名選手の名前からです。こちらのアゾールはというと、小さかった時に、サッカーを上手に蹴る度に、彼の代父が「アゾールみたいだ!」といったので、今日に至ったのです。
 
フラン・パルレ:貴方がたは、アフリカでも演奏されています。結果は、どうでしたか?
ブロ・ヴァルクール:ベナンで演奏しました。アゾールと一緒に。コート・ジボワールにも一緒に行きました。とてもいい所でした。アフリカには、しばらく滞在しましたが、恐らく3週間位は過ごしたでしょうか。
 
フラン・パルレ:では、ハイチとアフリカの音楽という観点で、現地の音楽家との交流はいかがでしたか?
ブロ・ヴァルクール:それは、私達にとって、かけがえのない発見の旅でした。ここだけの話ですけど、ハイチは、奴隷の国ですが、あらゆる部族の中から、最も屈強な者達が選ばれ、ハイチに送りこまれているのです。だから、ハイチは、複数の部族の寄り集まりの国なのです。その結果、私達のリズムには、アフリカのリズムよりも、はるかに変化に富んでいます。まだ鮮明に覚えていますが、先日、先週のことですから。そこで出会ったアフリカ人達が、こういったのです。「貴方達の方が、アフリカ人より優れている」と。そう言われても、驚きませんよ。私達には、全ての部族が混入しているのですから。想像してみてください。アフリカでは、彼等はとても閉鎖的で、お互いに行ったり来たりしません。自分か、他人の区別だけなのです。一方、ハイチは、あらゆる部族のるつぼです。その結果、おびただしく豊穣な文化が生まれるのです。ハイチには、アフリカから入って来て、我々がミックスした150以上のリズムがあります。長い年月をかけて、我々がミックスし、改良したものです。
 
フラン・パルレ:最後の質問です。皆さんは、世界中で演奏していらっしゃいますが、ハイチ以外の他のカリブ諸島にも行かれましたか?他の島々では、どんな反響でしたか?色々交流していらっしゃるのですか?
ブロ・ヴァルクール(アゾールに代わって):ハイチはとても早い時期に国の独立を勝ち取り、その直後から、経済封鎖を蒙ったので、アンティル諸島では、ハイチ音楽は、外部からの影響をうけることなく、本来の姿を留めることが出来たと思われています。そんなわけで、ハイチは、カリブ諸島の中で、疑いの余地なく、アフリカ文化の中核をなしていると思います。
 
東京、2003年5月30日
インタビュウ:エリック・プリュー
翻訳:井上八汐
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