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La francophonie au Japon

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フィリップ・キャンデロロ、長野オリンピック アイス・スケ−ト銀メダリスト
投稿日 2002年3月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
フィリップ・キャンデロロ:プロフェッショナル・スケーター
 
誰もが長野の銀メダルを憶えているだろう。その後プロに移籍してから、彼は自分の名を冠したツァーを組織して成功を収めた。行く先々で喝采の嵐を巻き起こすキャンデロロの独占インタビュー。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:スケートを始めたきっかけは何ですか。
フィリップ・キャンデロロ:きっかけは小学校です。コロンブの小学生は週に一度、学校からスケートに行っていました。僕がわりと上手に滑っていたので、アンドレ・ブリュネという、今でも僕のコーチをしている人がこの子の両親に紹介してくれるようにと先生に頼んだんです。それでクラブに入ることになりました。それからどんどん上達して、テストに一通り合格し、一年後にはスケートの学校に入りました。学習とスポーツの二本立て教育です。そして2年後にフランスのジュニアチャンピオンになりました。そこで、こいつは多分ものになるだろうと思われるようになったんです。その流れでここに至ったわけですが、93年まではまるで見通しがつきませんでした。スケートの世界で自分に何が出来るのか、よくは分かりませんでした。いずれにせよ国際的に今のレベルに到達するとは予測できませんでした。ほんとに分かりませんでした。
 
フラン・パルレ:子供にとってそういう学校はきつくないですか。
フィリップ・キャンデロロ:普通の学校とは時間割が違います。普通は朝起きると授業に行きますが、そこでは早起きをしてスポーツをするんです。だからまるっきり別々のことをするわけなんですが、これは習慣の問題ですね。例えば今の子供たちにしても、朝スケート学校に来るときのほうが学校へ行くときより嬉しそうです。気分が変わりますからなおさらいいんです。
 

フラン・パルレ:調子を保つための食事法はありますか。
フィリップ・キャンデロロ:調子を保つためのコツはありません。毎日練習することです。毎日かなりの練習をこなしながら休息も忘れないようにすることです。プロのシーズンはアマチュアのものよりもずっと長いですからね。アマチュアのシーズンは9月の練習開始から3月の世界選手権までです。そのあとはガラとか休息とか新しいプログラムの組み立てとかが6月まで。7月はフィジカルな面を鍛えます。僕たちはいつもショーがあるし、9月10日から8月まではノンストップで競技会があるので、ワンシーズンがとても長いんです。また怪我をしないように気をつけねばなりません。だから、食事はというと、僕はまず食べることは快楽だという原則に従っています。だから制限をしすぎるのはよくありません。何か欲しいものがあればそれを食べます。食べるのは好きですからね。そのうえ僕はフランス人ですから美味しいフランス料理は大好きです。
 
フラン・パルレ:アルコールもですか?
フィリップ・キャンデロロ:いえ、アルコールの取りすぎはよくありません。友達とのパーティーで一杯やることはありますが、それ以外はあまり飲みません。足に残りますから。なかなか抜けないんです。
 

フラン・パルレ:ダルタニャンなど、ショーの登場人物はどのように選ぶのですか。
フィリップ・キャンデロロ:登場人物を選ぶときは、身内びいきのフランス人になりきって選びます。ちょっと攻撃的で、魅力的な人物であることが特に大切です。観客が物語についてゆけるようにね。一番大事なのはここです。人々の注意をひきつけること。氷の上にいる5分間の間にスケーターと観客とのコミュニケーションが成立しなければなりません。でなければたちまち退屈なショーになってしまいます。それだったらわざわざスケートを観に来ることはないでしょう。個人的な意見ですがね。
 
フラン・パルレ:あなたは女性ファンに騒がれるので有名ですね。どんな気持ちですか。
フィリップ・キャンデロロ:たしかに日本のファン、特に女性ファンの反応には熱がこもってますね。いつも聞かれるんですよ。どうしていつもこんなに日本女性がいるのか。あなたに首っ丈じゃないか、ってね。どうしてか分からない。説明できませんよ。説明がつかないほうが誰にとってもいいんじゃないですか。僕にとってもね。でも僕がずいぶん奉仕している、ということはいえます。彼女たちはホテルで僕を待ってるし、僕は彼女たちと30分ほど過ごして写真を撮ったりサインをしたりする。でも僕としては当然のことだと思いますよ。僕が滑るのを見て彼女たちが感動してくれて、その感動を僕にくれるから。僕が滑り終わったときにプレゼントや花をくれるから。だから今彼女たちが僕のそばにいられるのは当然だと思います。僕にとってファンは力になるし、ファンがいなければ氷の上でも力が出ないと思います。
 
フラン・パルレ:滑るときは観客の反応を感じますか。
フィリップ・キャンデロロ:観客の反応は必要です。公式の試合では――日本では特に厳しくて、堅苦しいくらいです――応援の際に選手に分け隔てをしないように言われますね。でもこんな風にショーをするときは、すぐに違いを感じます。日本人はちょっと堅苦しいところがありますね。感情を外に表すのが苦手のようです。僕が受ける理由はもしかしたらそういうところじゃないですか。つまり、スケートの世界も実はかなり窮屈なんですが、僕は氷の上でTシャツを脱いだり服を脱いだり誰かにキスしたりします。そんなところを見て、彼がやるなら私たちだって、と思うのではないですか。結構お堅い国ですから花やプレゼントを投げ込んだりする習慣が以前はなかったようですね。たぶん日本のスケートにはあまり前例がなかったのではないでしょうか。多分この現象のほうが説明を要するのではないですか。
 

フラン・パルレ:あなた自身のツアーを企画したのはなぜですか。
フィリップ・キャンデロロ:妻が言っていたんです。何かあなたの名前が形に残るものをするべきよ、とね。それに、いつか滑るのを止めたときにそうした仕事をしていなければつらいのではないかと思ったんです。僕が好きなのは観客です。観客を喜ばせることです。だから僕がスケートを止めたときに観客を喜ばせる機会がまったくなくなってしまったら、骨身にしみるほど寂しい思いをするでしょう。プロデューサーの仕事はとても気に入っています。アドレナリンががんがん出てきますし、大変なエネルギーを使います。僕自身がずっと氷の上にいるわけではありませんが、結果としてショーを見に来てくれるお客さんたちを喜ばせねばなりません。ショーを行う原動力になっているのはこの気持ちだと思います。このショーがなければ今の僕はないでしょう。今のスケート界では、アマチュアのときはちやほやされますが、プロになると残念ながらあまり活動の場がありません。こうしたプロフェッショナルのツァーのお陰で人々が僕たちの滑りを観に来てくれるんです。この点を忘れてはなりません。
 
フラン・パルレ:どこで興行していますか。
フィリップ・キャンデロロ:主に4ヶ国で行っています。日本、カナダ、アメリカ、フランスです。僕はドイツやフィンランド、ノルウェーでもまずまず知られています。だからこそこうしたツアーを企画して他のプロやアマのスケーターにも滑る機会を、まずヨーロッパで、そしてそれ以外の地域で開拓しようと思ったんです。アメリカにはたくさん仕事があります。カナダにもあります。日本では毎年いくつか競技会が開かれています。でももしスケートの世界的なツアーを組織すれば誰でも滑れるようになり、将来が大きく開けてくるでしょう。僕がスケートの世界でやったことを人々は覚えてくれていると思います。僕の名前は思い出さなくても、したことは思い出してくれるでしょう。日本では違います。人々がダルタニャンを思い出すのは、それがオリンピックだったからです。だからぐずぐずせずにこのショーを開かねばならなかったのです。
 
2002年3月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:大沢信子
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