フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

Rédaction du journal:
Rédacteur en chef: Éric Priou
Rédaction: Karen, Mika Tanaka

La francophonie au Japon
Franc-Parlerフランス語圏情報ウェブマガジン フラン・パルレ
〒169−0075新宿区高田馬場1−31−8−428
1-31-8-428 Takadanobaba, Shinjuku-ku, 169-0075 Tokyo

Tel: 03-5272-3440
E-mail:contact@franc-parler.jp
http://franc-parler.jp

パティシエ、ピエール・エルメ
投稿日 2017年6月23日
最後に更新されたのは 2018年4月23日
ピエール・エルメ:デザートの塩
 
現代の最高のショコラティエが一堂に会し、味覚の楽しみを競う、「サロン•デュ•ショコラ東京」にようこそ。ここでは、パティシエ達の参加も目につく。フラン•パルレは、幸運にも、パティシエ、ピエール・エルメに、会場でお目にかかることが出来、快く沢山の質問に答えてもらった。
 
フラン•パルレ:貴方は、初めから、パティシエになろうと思っていらっしゃったのですか?
ピエール・エルメ:私の家の生業は…そう、私は4代続く、パテシエの家に生まれたのです。ですから、パティシエには、いつもなりたいと思っていましたね。父が、ある種の情熱を持って、その仕事に励んでいましたから、私もまたいずれと…そうですね、確かに、それは、少々影響していますね。
 
フラン•パルレ:そうですか。なれそめは、何歳頃からでしたか?
ピエール・エルメ:ごく小さい時からでしたよ。よく覚えてはいないけど…5,6歳の時に、すでに作業場で、ケーキを作ったり、お皿を洗ったりしていましたから。始めたのは、とても早かったです。
 
フラン•パルレ:なるほど。貴方は、4代目というわけですね。では、今でもずっと続けて作っていらっしゃる特別なパティスリーがおありですか?
ピエール・エルメ:そんなものはありません。私が作っているパティスリーは、家族の伝統といったものとは関係ないのです。私は伝統的なデザートを作りますが、私流にアレンジしています。また、沢山の創作品も作ります。シーズンごとに、新しい秋・冬コレクション、春・夏コレクションを催しますが、その都度、いくつかの創作ものと同時に、私流にアレンジしなおした既存の古典ものも展示します。だから、私の父の店で作っていたパティスリー類とは程遠いものなのです。
 
フラン•パルレ:お父さんのお店というのは、従来の伝統的なお店だったのですか?
ピエール・エルメ:おっしゃる通りです。地方の町のパン・パティスリーでした。
 
フラン•パルレ:貴方は、かなり名の通ったパティシエ達のもとで、いきなり修行を始められたのですか?
ピエール・エルメ:14歳の時に、パリに出てきて…修行を、ルノートル、ガストン・ルノートルの下で始めました。私にとって、ルノートルは、実に、この仕事への啓示だったのです。
 
フラン•パルレ:ルノートルが貴方に…手取り足取り教えたのですか?
ピエール・エルメ:あらゆる基礎知識を、全てを…学びました。質とは何か、素材の質、仕事の質、仕事の厳しさとは何かを学びました。ですから、そこでの修業は、とても重要な通過点であったとでもいえましょうか。
 
フラン•パルレ:修得するうえで、これは難しいという技術はありますか? 特に、これは他より難しいというような?
ピエール・エルメ:難しいことは何もありません。全ては、何と言いましょうか…ご存知のように、ある職業を収める時には、先ず、見習い時期というものがあります。次に、実践期間があり、次いで、修業完了時期が来ます。この修業期間を終えたあと、はじめて、自分を表現することが出来る時期が来るのです。
 
フラン•パルレ:貴方は、いつ頃から、何歳ごろから、創作活動に移られましたか?
ピエール・エルメ:そうですね、私は、クラシックから抜け出て、私独自のスタイルを確立したいと思いました、しかも、出来るだけ早い時期にです。私は、諸々の技術をマスターし終えたと思った時から、何事も恐れず、それらに挑戦していきたいと望みました。但し、習った技術に必ずしも納得がゆかず、追随するよりは、そうする方が美味しいのだ、いいのだと思ったまでのことですけどね。
 
フラン•パルレ:そうですか。じゃあ、ちょっと反抗的というか。
ピエール・エルメ:いえ、いえ、反抗的ということではなく、独自のスタイルを身に着けたいということでしょうか。
 
フラン•パルレ:貴方は、先程、食材の選択について語っていらっしゃいました。どんな食材を選ぶべきかということです。では、パティスリーに於ける食材選びは、どうしていらっしゃるのですか?
ピエール・エルメ:我々の仕事は、文化の仕事です。即ち、食材について学び、知識を得るに至るまでには、長い道程が必要です。それで、今でも、私は、知らない食材、いや、知っている食材についてすら、多くを学んでいます。イチゴを例にとれば、今なお、イチゴの品質について、色々なことを学んでいます。フランスであろうと、ここ日本であろうと、良いイチゴとは何かについて知ろうと努めています。四六時中、食材について学んでいるのです。
ごく最近、私は、デザートとチーズの中間のようなものを作りました。胡椒とペコリノ入りのピザの一種です。その機会に、私はそれまで殆ど知らなかったペコリノについて、大いに学びました。ペコリノとは、イタリアのチーズで、三つのバリエーションがあります。柔らかめ、硬め、非常に硬いの三様です。ですから、この機会に、その熟成段階の違ったそれぞれのペコリノの風味がどんなものか、知り、理解しようと努め、大いに学びました。ですから、使用食材の質とその特徴を学ぶということは、常に行うべきことなのです。
 
フラン•パルレ:そのような食材を結びつけようという発想は、どのようにして浮かんだのですか?
ピエール・エルメ:このチーズを食べて、「おや、これは、なにか甘味とあいそうな気がするぞ」と思ったからです。そこから、私のチーズを作り上げました。いわゆる、甘辛中間の味です。それは、平らなパイ皮の台座に、胡椒の粒を散らし、次に、数枚のオレンジの薄皮をすりおろします。バジルとローズマリーを配し、少々の塩と、その後で、シナモン風味砂糖とオリーブオイルを振りかけ、オーブンで焼きます。一旦冷まして、その上に、薄く削ったおが屑状のペコリノを飾ります。ですから、塩味と甘味の中間のものになります。
 
フラン•パルレ:何か他の作品を目下考案中でいらっしゃいますか? 新たな発表でも?
ピエール・エルメ:今、オレンジと人参をベースにしたデザートを考案している最中です。実は、オレンジ風味の人参サラダであるモロッコのアントレから、そのアイデアが浮かびました。それで、私も工夫してみたいと思いましたが、私のは、甘味バージョンでいきたいと思っています。モロッコのは、辛味と甘味の中間で、私の場合は、完全に、甘味バージョンでこの作品を仕上げたいと思います。
 
フラン•パルレ:貴方は、外国、例を挙げれば、モロッコ、イタリアといった外国に、大いに目を向けていらっしゃいますが…
ピエール・エルメ:ええ、私の作るパティスリーは、郷土のパティスリーではないからです。食材から言っても、時として、テクニック上でも、あらゆる地域からインスピレーションを受けているパティスリーだからです。だから、確かに、非常にオープンだと言えるのでしょうね。昨年の夏、私は、イチゴと、砂糖漬けレモンコンフィと、塩漬けレモンコンフィをベースにして、デザートを作りました。塩漬けレモンコンフィは、ご存知のように、モロッコ風レモンです。(モロッコには)お料理用の塩漬けレモンというのがあるのです。砂糖漬けレモンと塩漬けレモンに、バニラ・ジュースと数個のイチゴとオリーブオイル・シャーベットを組合わせたのです。そこにも、同様に、いくつかの閃きが感じられます…パティスリーに、オリーブオイルを使うことは通常しません。でもイタリアは違います。イタリアでは、沢山のオリーブオイルを、お菓子作りや、ビスケット作りに使います。そう、多種多様な影響が感じられますね。去年の冬には、茹でた日本の小豆をベースにして、白酢と緑の柑橘類(酢だち?)の皮と生姜のすりおろしで味付けしたデザートを作ったのですよ。それと一緒に、皮をむいたグレープフルーツの果肉に、レモンジュースと蜂蜜をかけたものと、抹茶氷一かけらを添えて供しました。そこには、私の度々の日本訪問からくる思いが込められています。私は、甘い小豆が大好きで、緑茶も大好きです。だから、こういったものをデザートに組み合わせようと思ったのです。
 
フラン•パルレ:フランスでは、もう試されたのですか?
ピエール・エルメ:ええ、試しました。
 
フラン•パルレ:長い間、オリジナル作品を作り続けられるのですか?時には、変えたりなさるのですか?
ピエール・エルメ:ホテルニューオータニに入っている私の店の場合は、3つのカテゴリーに分かれています。まず、クラシックもの、私流に手を加えたクラシックものですね。ミルフィーユ、モンブラン、クイニーアマン、アーモンド入りクロワッサン、その他の作品です。次いで、創作もの、最新コレクションに出品されたケーキ類です。それに、名前入りのものがあります。名前入りのものは、創作ものから出て、店のクラシックケーキとなったケーキ類です。
 
フラン•パルレ:私は、<クチュール>という言葉の含みが好きです。パティスリーと<クチュール>には、何か大いに似た点がある、そのように思われるのですが…
ピエール・エルメ:我々の仕事の中には、二つの部分があると言ってもいいかも知れません。創作的部分と、職人的と言っていい部分です。創作家になるには、ある段階を経る必要があります。この創作活動が、職人仕事を生みだすのです。即ち、我々は、毎日、同じ物、同じケーキを繰り返し作ることになります。しかし、創造の深さという点では、他の仕事、他の分野、もちろん、芸術的という意味でですが、と似たようなところがあると思います。実際、料理は、一種の芸術、少なくとも、創作的活動に近いと思います。でも、料理人やパティシエ達は、しょっちゅう、「我々の仕事は、職人仕事ですよ」と言いますからね。職人という言葉や、その定義には反対しません。だだし、それは、料理や仕事を、日々繰り返し、実行するという意味においてです。そこでやっているのは、職人仕事であることは事実です。が、創作的深さからみると、それは、一種の芸術的分野の一つであると思います。
 
フラン•パルレ:そうですね。ところで、貴方は、「ケーキに乗ったサクランボ」(ケーキ名であると同時に、「仕上げの一筆」という意もある)を製作するにあたって、あるデザイナーの協力を求めました。
ピエール・エルメ:ええ、そうしたのは、デザイナーと一度仕事をしてみたかったからです。デザイナーと仕事をすることで、ちょっと格好をつけたいと思ったからではなく、通常思いつくケーキの形から抜け出したかったからです。普通ですと、パティシエは、丸か、楕円形か、四角か、長方形を想像しますが、別の形、でも、あくまで、ケーキとしての形を留めている何かを求めました。デザイナーと仕事をしながら、ケーキとなんら関係のない形を創作しようとは思いませんでした。ケーキではあるものの、同時に、常日頃やっている事とは違ったやり方がないかどうかと思ったのです。
 
フラン•パルレ:「ケーキに乗ったサクランボ」と何故命名されたのか?その閃きとでもいうものは?
ピエール・エルメ:それは偶然なことからでした。偶然だというのは、ある日、ヤン・ペナー、それがデザイナーの名前で、彼と一緒に仕事をしていた時のことでした。貴方は、ご覧になったことがあるか知りませんが、とても幾何学的な、あんな形をしたものを、私の前に置いたのです。少しばかり、本当に、少しばかり、セックスアッピールに欠け、美味しそうには見えませんでした。そこで、あの上に、サクランボを置いてみたら、このケーキの中に、少々人間的な奥行き、セックスアッピールを醸し出してくれたのです。実際、それは全く偶然のことでした。彼が作って来たダンボールの模型を私に見せてくれた日、彼は、その上に、赤いプラスチックで出来た一種の泡のようなものを載せたのです。そこで、私は、「ああ、これは、ケーキに乗ったサクランボだね。」と言ったのです。すると彼は、「君、その名前にしたら。」と返しました。全く偶然のことだったのですが、彼は、当初、そのケーキに、別の考えを持っていたようです。彼は、「バターとバターのお金」(「代償を払わず恩恵を得る」という意もある)と命名しようと思っていました。
 
フラン•パルレ:色々な含みがあるのですね。貴方の創作品には、それぞれ名前が付くのですか?
ピエール・エルメ:そうです。名前を付けることは、私にとって、とても頭をなやませます。デザートの時には、たいていの場合、デザートの中に入っている、食材名や一種のレジュメで命名します。例えば、塩・砂糖漬けレモンコンフィ、バニラ・ジュース、オリーブオイル・シャーベットとイチゴ、といった感じです。でも、ケーキの命名は、時に非常に難しいです。何かを連想させると同時に、品格があり、ケーキの名に多少相応しいか、それに近いものを見つけなければなりません。そして、命名は、たいていの場合、偶然から生まれる場合が多いです。例を挙げれば、一番最近のコレクションの中に、「メデリス」と一語だけで呼ばれたケーキがありました。ある日、メデリス嬢という若いご婦人にお会いしたことがあって、「これは、素敵な名前だ。ケーキの名に相応しいぞ。」と思ったのです。そこから、この名前をケーキに使おうという考えが浮かんだのです。「カレマン(四角くとか純粋にの意)・ショコラ」と命名された最新のチョコレートケーキがあります。その形から…ケーキの名前は、その形からきていますから。同時に、一種の言葉遊びでもあります。そのケーキは、正に、純粋に、チョコレートだけで出来ているからです。チョコレート以外の味は入っていません。ですから、ケーキの名前と、形と、成分との間に、適合性があると思いました。
 
フラン•パルレ:では、創作に関して、コレクションについてお伺いします。貴方は、一つのコレクションで、いくつ位の作品を出品なさいますか?
ピエール・エルメ:決まってはいません。4,5,6,7作品位でしょうか。時によります。
 
フラン•パルレ:次に、食材の選択についてですが、コレクションは、春・夏と秋・冬に開かれています。では、どうやって、食材を選ばれるのですか? 
ピエール・エルメ:ええ、それは、季節との関係で選びます。冬であれば、実際のところ、赤い色の果物がほとんどありません。でも、夏や春には、その種の果物はもっと出まわっています。また、同時に、旬のものを取り入れますし、こちらのもの、いや、あちらのものといった、好みの問題も生じます。
 
フラン•パルレ:パリでは、サロン・ド・テをお持ちで?
ピエール・エルメ:パリでは、11年間、フォションのパティスリー部門を担当しました。次に、ラデュレの事業開発に関わりました。今は、パリに、ピエール・エルメ・サロン・ド・テをオープンするための場所探しをしているところです。今から今年の半ばにかけて、目途をつけたいと思います。そして、東京では、7月7日に、2つ目の店を開きます。
 
フラン•パルレ:何故日本を選ばれたのですか?
ピエール・エルメ:私が日本に来たのは、だいぶ前の事で、かれこれ15年になります。色々なコンタクトや出会いを通して、1987年に、ホテルニューオータニで、たまたま、イヴェントを催すことになりました。そんなことから、ビジネス関係が、ニューオータニとの間に生まれ、やがて、ホテルニューオータニの中に、私のパティスリーをオープンしたいと思うに至りました。今の日本市場は、高級フランス・パティスリーブランドならば、入り込める余地があるキャプティブ市場だと思います。その証拠に、沢山の高級パティスリー、言い替えれば、フランス風パティスリーが、日本に誘致されています。ありとあらゆる種類のパリの有名ブランドがひしめいています。ルノートル、ダロワイヨ、ペルチエ等々です。しかし、これらすべてのブランドは、一人の人物によって展開されたものではありません。実際のところ、それらは、単なるブランドに過ぎません。ピエール・エルメとこれらブランドとの違いは、自分の作品、自分の創作について、自ら語り、説明することが出来る人物がいるかどうかという点です。
 
フラン•パルレ:貴方は、新人のパティシエを養成なさるお積りですか?
ピエール・エルメ:もうすでに、沢山のパティシエを養成してきました。今日、パリの最高級店を見わたして頂ければ、そこで働いている人達は、私のところに体験に来たか、共に働いた人たちです。それは、これからも続くでしょう。
 
フラン•パルレ:貴方の嗜好を伝搬することが、なにか貴方にもたらすものでも?
ピエール・エルメ:私の仕事には、ある重要な側面があります。それは、どんな仕事にも言えることだと思うのですが、それは、人に物を伝えるということです。この種の熱い情熱を抱き、また、立派な、非常に偉大なプロとなることが出来るような人に出会うのは、私にとって、一種の喜びなのです。私とある時期一緒に仕事をした人にたいして、その後も連絡をとり、彼らが必要とあれば、その修業中に力を貸すということが、しばしばあります。彼等が、仕事の過程で、何か困ったことが起こった時とか、違った事をやってみたいと思ったとき、ある仕事を見つけるのを手伝ったり、導いたり、彼らがそこで働きたいと思っている人達に引き合わせたりして、肩をおしてやります。それは、重要なことなのですよ。私は、一緒に働いた人達とのコンタクトを密にしています。私にとって、それは、私の仕事の一部なのです。人間関係、一緒に働く人達との人脈を、私はとても大切にしているからです。
 
フラン•パルレ:貴方が、これからオープンしようとなさるサロン、たとえば、パリでのサロンでは、飲み物の選択に関しては、どうなさるのですか?
ピエール・エルメ:私が情熱を傾けているのはワインです。だから、ワインに関しては、大いに勉強しています。また、塩味についても、いろいろ勉強しています。これは、高級料理を対象にした塩味のことを言っているのではありません。塩味と甘味の両方、或は、塩味だけ使った、かなりシンプルな料理に於ける塩味の工夫ということです。ここ東京で、新しくオープンしようとしているサロン・ド・テの中での料理に、例えば、ニンジンとほうれん草の新芽の絞り汁でマリネしたホタテ貝サラダがあります。それは、野菜と貝類を組み合わせた極めて軽い料理で、かなりシンプルなコンセプトを持ちます。
 
フラン•パルレ:それは、私の思っている、甘いものと一杯のお茶といったサロン・ド・テの持つイメージとは違ったコンセプトですね…
ピエール・エルメ:塩味スナックは、前からあります。一口サンドイッチ、塩味一口サンドイッチです。私は、サロン・ド・テのために、甘味サンドイッチを作ったことがあります。また、そこでは、塩味タルトを食べたりします。ですから、私の新サロン・ド・テでは、塩味タルトを提供しようと思います。
 
フラン•パルレ:塩味タルトは、日本では、恐らく、斬新なのでは?
ピエール・エルメ:そんなことはないと思いますよ。塩味タルトは、キッシュやその他の形で存在していると思います。でも私は、少々キッシュとは違ったものを作ろうと思っています。私にとって、塩味タルトとは、その上に、キッシュとは別の食材を加えた、タルトの台座を意味します。  
 
フラン•パルレ:貴方は、さっき、「自分は、ワイン党だ」とおっしゃいました。じゃあ、貴方は、どんなタイプのワインを選ばれますか?
ピエール・エルメ:こんにち、ホテルニューオータニには、すでに、ピエール・エルメお薦めワインイン・コーナーを設けております。それらは、私の好きなワインであったり、ある種のデザートによくマッチしたワインです。でも、私の趣味は、デザート用のワインに留まりません。ワインに関しては、絶えず勉強しています。ワインというものは、毎年、変わると言う意味で、かなり面白いからです。絶えず、新参のブドウ栽培業者が現れます。既知の人達が異動し、絶え間なく変遷する世界です。私は、そのようなワインの側面がとても好きなのです。
 
フラン•パルレ:最後の質問をしてもよろしいですか? 貴方が、ちょっとお腹がすいている時に、パティスリーだったら、何を選びますか?
ピエール・エルメ:私は、パティスリーにしょっちゅう立ち寄ります。チョコレートを買ったり、ケーキを一個買ったりします。時によりますけどね。昨日は、「サロン•デュ•ショコラ東京」に立ち寄り、ジャン・ポール・エヴァンのブースを訪ねました。そこで、ジャン・ポール・エヴァンのチョコレートを日本に輸入している人に言いましたよ。「私は、ジャン・ポール・エヴァンの店によく立ち寄っています。チョコレートとか、チョコレートケーキを一個買って食べています。パリで、私の同業者達が作っているものを味見するのが大好きでしてね。」と。とりわけ、彼らが美味しいチョコレートやケーキを作っている時にはそうします。街の小さなパン屋さんに入って、美味しそうだなと思うケーキを一つ買うこともあります。ケーキに於いて重要なこと、それは、味覚をそそることであって、姿・形が完璧なことではないのです。
 
2005年2月
インタビュー:エリック・プリュウ
翻訳:井上八汐
qrcode:http://franc-parler.jp/spip.php?article966