フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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ギィ・フォワシィ,劇作家
投稿日 2002年5月1日
最後に更新されたのは 2016年7月28日
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ギィ・フォワシィ開幕
 
フランス現代演劇は幾多の困難にもめげず、なお大勢の観客を動員している。今月は日本でもギィ・フォワシィのおかげで上演される。真実と単純さと誠実さを何にも増して追求する劇作家、ギィ・フォワシィの作品は、われわれを語り、われわれに語りかけてくる人生の劇場だ。
 
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フラン・パルレ:書き始めたのはとても早かったのですね。
ギィ・フォワシィ:はい。最初の戯曲を書いたのが14歳のときでした。いいものではありませんでしたが、とにかく書きました。これは韻文で書きました。というのは古典演劇を目標にしていたからです。その後たくさんの戯曲を書きました。無意識のうちに自分の可能性を探していたのです。初めて上演されたのは1956年、24歳のときです。ユシェット座でした。イヨネスコが現れる直前です。彼はそのまま居座りました。僕の作品が上演されたのは12月だったはずです。彼は、思い違いでなければ57年の1、2月です。「禿の女歌手」はロングランになりました。いまだに上演されています。僕は一ヶ月だけ。うまくいきませんでした。
 
フラン・パルレ:すぐに自分のスタイルやジャンルが見つかりましたか。
ギィ・フォワシィ:すぐに、かどうかはよくわかりません。いえ、なかなか見つかりませんでした。「関節炎」という作品を書き終わったときに「ああ、これだ。僕にできるのはこれだ」と思ったんです。以前は全然違うものを書いていました。でもそのときにこれだという感じがしたんです。僕は各人の守備範囲は限られていると思います。僕にはフェドーのように書くことも、ブレヒトのように書くこともできません。僕にはできないんです。だから、自分の守備範囲の中で書くんです。僕は「関節炎」でそれを見つけました。
 
フラン・パルレ:その守備範囲についてもう少し具体的にお願いします。
ギィ・フォワシィ:具体的に絞るのは難しいですね。現実に根を下ろした演劇というのでしょうか。現代に生きる人物を使って現代の問題を描くものです。僕のスタイルはきわめて会話調でくだけていると思われていますが、実際はけっこう文学的です。僕はブラックユーモアのグランプリをもらいましたが、これは僕にぴったりだと思います。だからこれが僕の分野だといえますね。
 
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フラン・パルレ:あなたのブラックユーモアの定義は何でしょう?

ギィ・フォワシィ:さあ何でしょう、定義はできません。でも普通のユーモアに比べると、ブラックユーモアの場合は死の要素が入ってくると思います。
 
フラン・パルレ:翻訳でこのユーモアを表現するのは難しいのではないでしょうか。
ギィ・フォワシィ:さあ、わかりません。翻訳者に聞いて見なければね。でもどっちみち大事なのは全部翻訳することではなくてむしろ翻案することでしょう。フランス的なエスプリを活かしてね。僕は翻案するべきだと思いますよ。その言語や文化一般の中で原文に対応するものを見つけることだと思います。
 
フラン・パルレ:主にどんなテーマを取り上げるのが好きですか。
ギィ・フォワシィ:僕はニュースをよく取り上げます。マスコミがどのようにニュースを報道しているかというのは重要な問題だと思うからです。僕が表現するのはいつも人物です。なにか主張しようと言うのではありません。ニュースそのものについてであろうが他の何についてであろうがね。僕は何かの犠牲になっている人々を描きます。テレビや新聞など。僕は失業についても語ります。こういったテーマですね。私は作品の中で人種差別を描くこともありますが、常にそういう状況を体験している人物を通してそれを行っています。
 
フラン・パルレ:人生においては楽観的なほうですか、それとも悲観的ですか。
ギィ・フォワシィ:さあ。楽観的だとは思いませんが、楽しんでいます。楽しんでいますが、自分ではかなり悲観的で不安を抱えた人間だと思っています。誰かが言いました。僕は人を笑わせる悲劇作家だってね。実にいいことを言ってくれたと思いましたよ。
 
フラン・パルレ:作品中に女性が大勢出てきますね。女性をどんな風に見ていますか?
ギィ・フォワシィ:乱れた心で見てますよ。もちろん。僕は女性が大好きです。でも僕は知的な面でも政治的にもフェミニストです。行動の面では違います。文化の問題がありますからね。小さい頃、こう言われました。「泣かないんだよ。女の子じゃないだろ」とね。政治的には僕は大変なフェミニストです。僕は女性たちはまだ戦いに勝ったわけではないと思っています。当たり前の平等を本当に実現するにはまだ遠い道のりがあります。僕はだんだん女性を登場させることが多くなりました。有難いことに僕はホモではありません。念のため。少なくとも2本の作品について、「ああ、作者は女だと思った」と人に言われました。僕は女性が好きなので、関心がある。だから彼女たちが感じることをうまく表現できるのです。僕が思い上がっているのではなく、他の人がそう言うのです。僕は女性の登場人物を発見するのが好きです。「王様と私たち」では、作品を毛嫌いする男性たちがいます。一人の日本人男性が僕に言いました。「やれやれ、男供は散々ですね」と。
 
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フラン・パルレ:日本での試みは何年前に始まったのですか。
ギィ・フォワシィ:結構すごいですよ。よく覚えていないのですが、1969年だったと思います。実はこんな風に始まったんです。僕の始めての作品が「L’Avant-scène」誌に掲載されました。「壁が崩れるのを眺めながら」という作品です。そのすぐ後で、驚いたことに大手の出版社が、白水社だったと思いますが、世界の戯曲を集めたアンソロジーに加えてもいいかどうか尋ねてきたのです。ムヌシュキンの「1789年」やリビング・シアター、ピンターなどがありました。白水社はこの作品を掲載しました。これはすぐに上演されました。他の作品も送るようにと言われました。それだけ僕の作品が出版されていなかったということです。だからフランス著作権事務所に原稿を送りました。事務所は僕に戯曲を送るように言い、送ったものは複数の劇団によって上演されました。その中に僕の作品を定期的に上演している劇団があるのに気がつきました。1976年に谷正雄さんが、劇団に僕の名前をつけてもいいかと聞いてきました。こういうわけです。驚くのはそれが25年たった今でも続いていることです。すごいことです。
 
フラン・パルレ:世界的には文化活動もしていますね。ジェノヴァでも。
ギィ・フォワシィ:ええ。僕にはいつでも仕事があるんです。作家専業だったことはありません。そのことにはこだわっていないんです。やろうとすればできたかもしれません。でも、これで食べてゆかねばと思いながら書くのは嫌だと思ったんです。これは僕にとって、という意味なので、だからどうこういうのではありません。だから僕はいわゆる「文化事業推進担当」になりました。僕は文化会館で働き、複数の国立演劇センターで働きました。僕は文化事業センターの理事になり、館長になりました。今は名前が変わって国立劇場と呼ばれていますね。フランスのマコンにあります。その後ジェノバの文化センターの館長になり、それ以来20年余りカンヌの劇団の協会の会長をしています。カンヌの「コンパニー73」です。僕は協会の会長で、理事長は女性です。僕は協会のためにずいぶん働いています。
 
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フラン・パルレ:書くのは孤独な仕事ではありませんか?
ギィ・フォワシィ:ええ。確かにそうです。それに僕は構成をしません。怠け者だからかもしれませんが、必ずしもそうではありません。気取っているわけではないですが、もし僕を喜ばせたいなら僕が悲劇作家だといわないほうがいいでしょう。それよりも、なんと言うか、こう言ってくれたほうがいいです。僕は悲劇詩人だと。僕は自分の書き方は詩作の手法だと思います。僕は構成はしません。言葉が自然に出てくるのです。
 
フラン・パルレ:書くときに音の響きのことを考えますか?
ギィ・フォワシィ:何も考えません。僕は書くときは何も考えません。書くときは大概思いつくことをそのまま書いています。僕だけがそうなのではありません。言葉が自然に出てきて、人物像が決まってくるのです。僕は言葉の音楽性には敏感です。フランス語はニュアンスに満ちた、とても美しい言葉です。僕は音楽の構成には敏感です。でもそれは後で気がつくことです。これはすべて無意識のうちに自然に行われるのです。音楽的な構成がなされるときは、それが自然に始まり、旋律が作られ、いつかぱたりとやむのが感じられます。それは、後から感じられるのであって、そこがいいのです。
 
2002年5月
インタビュー:ナタリー・プリウー
翻訳:大沢信子



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