フラン•パルレ Franc-Parler
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パスカル・ランベール、作家・演出家・映画監督・劇場支配人
投稿日 2007年7月1日
最後に更新されたのは 2016年12月19日
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パスカル・ランベール:執筆の時間
 
時間は、作家、演出家、映画監督、劇場の支配人を同時にこなすパスカル・ランベールの生活やその活動において重要な要素である。彼は自らの劇作品「Aの始まり(邦題:愛のはじまり)」を日本で初演するためにこの6月、東京に戻ってきた。AはAmour (愛)のAなのか、Autobiographie (自叙伝)のAなのか?
 
フラン・パルレ:君は京都のヴィラ九条山に滞在したんだって。そこでの様子を話してくれるかい?
パスカル・ランベール:フランスでは、芸術家を特に日本の京都に行かせるという機会があるんだ。執筆や学術研究のためにね。だから僕は作家としてこの賞を得る幸運に恵まれたんだ。僕はこの賞を2003年にもらって、執筆のためにここ京都で4〜5ヶ月を過ごしに来た。特に長編映画のシナリオのためで、それはパリ、ロサンジェルスと東京で繰り広げられるんだ。それから僕は当然他の作品も書いたよ。なぜならそこは執筆できる、静けさの中に身を置き、自分の仕事が出来る場所だから。それは少しローマのヴィラ・メディチみたいだけれど、京都なんだ。
 
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フラン・パルレ:君の作品を君自身で演出するのは絶対条件なのかな?
パスカル・ランベール:あいにく、これは表現方法なんだ、僕はいつもこうして来た。僕は実際、けっこう若い時に詩を書き始めて、それが出版され、それからかなり早くに、僕は働き、自分の劇団を創ったのは16才だった。それ以降も僕は留まることなく、今44才になる。僕は常に執筆して、自分の作品を演出しているんだ。フランスや世界で、というのは今東京に居るからだけど。この劇団とともに、しょっちゅう外国、特にアメリカや、ヨーロッパを巡業している...
 
フラン・パルレ:ごめん、話を遮って。その劇団は「Side One posthume théâtreサイド・ワン・ポスチューム・テアートル」という名前だけど、そこには色々な含みがあるのでしょう…
パスカル・ランベール:その名前は、僕が確か思春期を殆ど脱する頃につけたんだ。でも劇団とは約20年、そのまま仕事してきた。それに2007年の1月から、僕はフランス国立演劇センターのトップに任命されたんだ。それはパリから数分のジュヌヴィリエというところにあるんだけど。そこには広い劇場と、人文、経済、芸術の分野で多くの機関があり、3つのホールがある。今、そこを現代創作の国立演劇センターに作り替えているところだ。そこでは主に現代創作を演るつもりだ:現代舞踊、現代演劇、現代オペラ、映画、思想や建築、それにフェスティバルも。コメディー・フランセーズもウチで公演することになっている。だから提携先はかなりの数になる。10月にはセンターをオープンし、その場所は次なる居場所となるだろう、そしてそこにはフランス内外のあらゆる大物アーティストが立ち寄るところになるんだ。とりわけロサンジェルスと東京間には太い軸がある、なぜなら2008〜2009年の招待客は全員、演劇や映画における日本人アーティストだから。
 
フラン・パルレ:この選択はどこからくるの?
パスカル・ランベール:それはとりわけ僕が近年最も仕事した場所だから。よって僕がこれらの場所でアーティスト達と築いた関係を、ジュヌヴィリエの人達にも活用して欲しかった。なぜならジュヌヴィリエは、元は労働者の街で、共産主義、現在はとても人種が入り交じっている所なんだ。それで僕はこの人達が優れたフランスの、または国際的なアーティスト達と直に触れあうこと、そして優れたアーティスト達ともっとブルジョワ的な関係に居る他の人達と同様にこの特権を得ることは、大切だと感じた。何故なら訪れる人達はオリヴィエ・アサイヤス氏や、ダニエル・ビュレン氏のように国際的に知られていて、かつジュヌヴィリエの人達とも仕事をするような人達だからね。
 
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フラン・パルレ:何故これら全ての分野を一つのセンターに集めるという決断をしたの?
パスカル・ランベール:それは僕が毎日していることだからだよ。僕はこう言いたいんだ:僕は午前中、或る編集室で僕の映画作品の一つのモンタージュをしている最中だったりする。午後は僕の役者達と下稽古をしている。そして夜は僕の家に居て執筆中だ。翌日は映画作品の一つの撮影にかかっている。その後ダンサー達と下稽古だ。故に僕の生活は、ノンストップだ。僕は日本語で言う、あなた方も知っているように、「過労死」なんだ。だから僕は過密スケジュールで、めちゃくちゃ忙しいんだ。僕の一日はやらなければ行けないことを全てこなす為に殆ど時間毎に決められているんだ。それに今ではセンターの経営が加わっている。これがもっと仕事を増やす。つまりアーティストを選出したり、彼らを招聘するためにもっともっとショーを観に行ったり、ということだ。でもこれが僕の送っている生活の反映なんだ。センターは僕の送っている生活のイメージなんだ:僕があなた方に言っていたように、それは演劇も舞踊も同様だということだ。僕はこれら全てのアートを僕のように遂行している他のアーティスト達を通してある種の方法で結びつけたんだ。
 
フラン・パルレ:「愛のはじまり」は非常に自叙伝的な作品だね....
パスカル・ランベール:僕はとても自叙伝的な文章を多く書く。実際、僕の生活は他のみんなの生活と同じくらい面白いのと同時に同じ位、つまらないものだと思うからだ。従って生活が同じくらいつまらない時は、それは同時にとても面白いものだ。何故ならそれは実際、みんなに関わるものだからだ。そして強い愛の物語の始まりは多くの人々の興味をひく。興業計画もなく、これはフランスのコメディー・フランセーズで初演され、それから世界中でも沢山演じられた。ここ日本にも2005年に僕の友達のケイト・モラーヌと一緒に上演しに来た。その彼女に僕が物語を語るのだ。しばしば僕らはこの様に演じる。それを二人でやって、ただ台本読んで、それが翻訳されて、「青年団」の人達がそれを観たんだ。今、僕は平田オリザに2009年に僕のジュヌヴィリエの劇場で公演するように誘っている。僕は彼が構成している次回作品を創っている。僕はここ日本で観た「東京ノート」の最新バージョンも受け入れる。僕は「愛の始まり」を一日は日本語で、一日はコメディー・フランセーズバージョンで受け入れる。日本との関係は大切だ。何故ならここはとても心地よいからだ。
 
2007年7月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき



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