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フランソワ・シャファン、舞台作家・芸術監督
投稿日 2008年7月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
フランソワ・シャファン:プロの舞台作家
 
執筆から舞台まで、フランソワ・シャファンは、テアトル・ド・ブリニー(フランス・エッソンヌ県)や他の舞台での彼の活動にスポットライトをあてる。近い所では、東京演劇集団「風」が7月28日から8月3日まで彼を招く予定だ。
 
Autoportrait ©François Chaffin

フラン・パルレ:テアトル・ド・ブリニーは、かなり特別な場所にありますね、なぜならその劇場は病院(敷地)内にあるという…
フランソワ・シャファン:そうですね、ブリニー劇場は、1904年から続く病院の中に1934年に建てられました。ここは結核療養所として開業した病院です。そして院長が、患者が6ヶ月から1年にわたって療養することから、1930年代に劇場を建設する必要があると判断し、それは60年代半ばまで開館していました。65〜66年に閉館したと思います。従ってこの劇場は患者専用であり、そこにはブルヴィル、ド・フュネス、セローといった超有名な俳優を含む、戦後、左岸のナイトクラブに出ていた俳優たちが出演していました。それに、そこは映画を楽しむことも出来る場所でもあり、35mmフィルム用の映写室が2つありました。だから、例えば「戦場にかける橋」が世界に先駆けて上映されたのです。劇場は30年間閉館したままでした。そして私が、そこを再建するために96年から2000年にかけて資金集めをしました。私は2002年か2003年に資金を調達出来、劇場は2004年に再開し、劇団によって運営されています。私がイル・ド・フランス圏で運営している「Théâtre du Menteur (うそつき劇団)」の芸術委員会が委託を受けています。ここは創造する劇場です。つまり私たちは完成されたスペクタクルを受け入れるのではなく、通常お披露目3週間前のスペクタクルを私たちのところでリハーサルを繰り返してもらい、ブリニー劇場で初演してもらうのです。そしてそれはもはや患者の為だけでなく、患者と病院職員、そして周辺に位置する14の小規模自治体の住民の為のものなのです。
 
フラン・パルレ:あなたは舞台作家、でいらっしゃるのですが、けっこう興味を引く肩書きですね…
フランソワ・シャファン:これは造語です。なぜなら実際、私は確かに、かなりの量の執筆の仕事があるからです。私は自分の所の為だけでなく他の劇団にも(作品を)書いています。私が「舞台作家」と言う時、それは特に、私が書いて、演出もする企画の時です。つまり作品を生み出す、ある一つの主題について着想する瞬間に、私は自分が同時に執筆、製作、芸術スタッフ、そして演出まで関わるだろう、さらにはそのスペクタクルのツアーに同行するだろう、とわかっているのです。あなたがお電話を下さった今も、まさに、私はダンケルク市の国立劇場に居て、ここでは今晩、「Trois utopies pour un désastre(惨事に向かう3つの夢物語)」という題の三部作の第二部を上演するのです。この作品は第一部では超自由主義、第二部では原理主義の増大について取り上げています。そして第三部ではメディアについて取り上げる予定です。私の場合むしろ今、演劇の手段によって政治的、戦闘的な表現に向かっているのです。
 
La première fois que la nuit est tombée
Photo: Ernesto Timor

フラン・パルレ:あなたは他の(劇団の)為にも書いていらっしゃいます。おそらく沢山の制約があるのでしょうね?
フランソワ・シャファン:私にいただくオーダーにおいては、いつも決まって同時に登場する人物の数、というか、とにかく舞台に立つ肉体の存在の制約があります。なぜなら一人の俳優に何役も演じさせることが出来るからです。普通は全てにおいて制約があります。私は作品を執筆するのに3ヶ月あり、他にも当然、テーマについての制約もありました。例えば私の次の依頼についてです。私はフランス北部の二つの大きな組織の為に仕事をしています。ベチューヌ市の国立演劇センターとダンケルク市の国立劇場です。プロメテウスの神話に現代的な脚色を施した執筆です。従って、当然、制約としては、プロメテウスの人物像をめぐる仕事であり、今日におけるその考え方であり、あるいは、そもそも考えないということに関する仕事になります。私たちは進歩をどのように活用したのか?その進歩は社会的なつながりにとって良いものであるのか…結局そういったことです!
 
フラン・パルレ:あなたはあらゆる形式の演劇に興味をお持ちですね。マリオネットや道化師の為に作品を書いていらっしゃいますから。あなたは全てにオープンなのですね…
フランソワ・シャファン:そうです、私は本当に夢中なのです…同時に、私にとって、執筆の技術は最終的に、想定した人物によって左右されないと思います。私は同じ方法で、マリオネット用にも、滑稽もの用の作品にも書く事が出来ると思います。それに対して、トーンは、正直、異なるかも知れません。私が道化師の為に依頼を受けた時、そこで私は滑稽なものが入って一体となった語り口で書きました。そうでなければ、私にとっての技術は…例えば、私が受けたマリオネット使いの為の直近の依頼、「ドンキホーテ」は、マリオネットを一体も舞台に登場させずに(他の形式で)完全に舞台をつくることが出来る作品です。
 
フラン・パルレ:あなたが子供達に向けて書く時、特別な思いがありますか、書く方法は大きく変わりますか?
フランソワ・シャファン:私はとにかく、自分の書く方法、言葉を保とうとしています。確かに、時々、私は自分が語ることを自分でオートフィルターにかけて、子供がそれを理解出来るようにします。でも私は特に子供達に向けて書く文体に対してはどちらかというと反対です。なぜならそれが、私に言わせれば、少し腑抜けた感じになるからです。従って、私は実際には若い世代と同時に、彼らに付き添ってくる親達が興味を持つような作品を書くのです。なので、私が選ぶテーマはそういったものです。「Jamais deux sans toi (あなた無しでは二人にならない)」これは離別についての作品です。私が子供達に向けて書いた直近の作品は「La gueule du loup (狼の口)」というタイトルで、それは三匹の子豚のキャラクターについてのものです。従って、そこには確かに子供向けの構成がありますが、それは狼への恐怖についてと私たちの死に対する恐れを克服するためのあらゆる状況を配置しているのです。それらは確かにちょっと重いテーマですし、後で私は子供達のことを考えて加工しますが、その主題によって本格的に言葉が誘導されないように扱います。私はそれらの作品が実際には大人にも大変理解し易い作品であるように気をつけています。
 
La première fois que la nuit est tombée
Photo: Ernesto Timor

フラン・パルレ:並行して芸術監督として、あなたは特に照明に興味を持っていらっしゃいます。
フランソワ・シャファン:それは、私の最初の専門知識でした。だから、それ故に、そう、私がスペクタクルを演出する時、私は照明の創作もするのです。でもそれは私が他(の劇団)でするものです。なぜなら、私に言わせれば、私が保ち続けて来た美術と技術の(融合する)唯一の活動は、照明の創作だからです。私が東京の演劇集団「風」の為に作ったように、私がフランスの他の劇団の為に作ったように。私のこの照明の創作に信頼をおいてくれる4つか5つの劇団があり、彼らのスペクタクルの照明演出を実際、私に定期的に依頼してくるのです。
 
2008年7月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき
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