フランソワ・シャファン:そうですね、ブリニー劇場は、1904年から続く病院の中に1934年に建てられました。ここは結核療養所として開業した病院です。そして院長が、患者が6ヶ月から1年にわたって療養することから、1930年代に劇場を建設する必要があると判断し、それは60年代半ばまで開館していました。65〜66年に閉館したと思います。従ってこの劇場は患者専用であり、そこにはブルヴィル、ド・フュネス、セローといった超有名な俳優を含む、戦後、左岸のナイトクラブに出ていた俳優たちが出演していました。それに、そこは映画を楽しむことも出来る場所でもあり、35mmフィルム用の映写室が2つありました。だから、例えば「戦場にかける橋」が世界に先駆けて上映されたのです。劇場は30年間閉館したままでした。そして私が、そこを再建するために96年から2000年にかけて資金集めをしました。私は2002年か2003年に資金を調達出来、劇場は2004年に再開し、劇団によって運営されています。私がイル・ド・フランス圏で運営している「Théâtre du Menteur (うそつき劇団)」の芸術委員会が委託を受けています。ここは創造する劇場です。つまり私たちは完成されたスペクタクルを受け入れるのではなく、通常お披露目3週間前のスペクタクルを私たちのところでリハーサルを繰り返してもらい、ブリニー劇場で初演してもらうのです。そしてそれはもはや患者の為だけでなく、患者と病院職員、そして周辺に位置する14の小規模自治体の住民の為のものなのです。
フラン・パルレ:あなたは舞台作家、でいらっしゃるのですが、けっこう興味を引く肩書きですね…
フランソワ・シャファン:これは造語です。なぜなら実際、私は確かに、かなりの量の執筆の仕事があるからです。私は自分の所の為だけでなく他の劇団にも(作品を)書いています。私が「舞台作家」と言う時、それは特に、私が書いて、演出もする企画の時です。つまり作品を生み出す、ある一つの主題について着想する瞬間に、私は自分が同時に執筆、製作、芸術スタッフ、そして演出まで関わるだろう、さらにはそのスペクタクルのツアーに同行するだろう、とわかっているのです。あなたがお電話を下さった今も、まさに、私はダンケルク市の国立劇場に居て、ここでは今晩、「Trois utopies pour un désastre(惨事に向かう3つの夢物語)」という題の三部作の第二部を上演するのです。この作品は第一部では超自由主義、第二部では原理主義の増大について取り上げています。そして第三部ではメディアについて取り上げる予定です。私の場合むしろ今、演劇の手段によって政治的、戦闘的な表現に向かっているのです。
フランソワ・シャファン:私はとにかく、自分の書く方法、言葉を保とうとしています。確かに、時々、私は自分が語ることを自分でオートフィルターにかけて、子供がそれを理解出来るようにします。でも私は特に子供達に向けて書く文体に対してはどちらかというと反対です。なぜならそれが、私に言わせれば、少し腑抜けた感じになるからです。従って、私は実際には若い世代と同時に、彼らに付き添ってくる親達が興味を持つような作品を書くのです。なので、私が選ぶテーマはそういったものです。「Jamais deux sans toi (あなた無しでは二人にならない)」これは離別についての作品です。私が子供達に向けて書いた直近の作品は「La gueule du loup (狼の口)」というタイトルで、それは三匹の子豚のキャラクターについてのものです。従って、そこには確かに子供向けの構成がありますが、それは狼への恐怖についてと私たちの死に対する恐れを克服するためのあらゆる状況を配置しているのです。それらは確かにちょっと重いテーマですし、後で私は子供達のことを考えて加工しますが、その主題によって本格的に言葉が誘導されないように扱います。私はそれらの作品が実際には大人にも大変理解し易い作品であるように気をつけています。