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レア・フェネール、映画『愛について、ある土曜日の面会室』監督
投稿日 2012年11月1日
最後に更新されたのは 2016年7月27日
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初めての長編映画『愛について、ある土曜日の面会室』で、レア・フェネールは、数多くの賞を手に入れた。ルイ・デリュック新人監督賞、ミッシェル・ドルナノ賞と挙げれば枚挙にいとまがない。彼女の映画は、過酷な人生に立ち向かう人々のあげる叫び、訴えであり、己の尊厳を取り戻すための勇気、刑務所の面会室に会いに行く、受刑者の親族達の勇気に照明を当てる。
 
Léa Fehner
Léa Fehner
©Franc-Parler
フラン・パルレ:貴女は演劇一家のご出身でいらっしゃいますね。むしろそちらの方面に進むことも出来たのではないでしょうか?
レア・フェネール:そうだとも、そうでないとも言えます。私は移動劇、大テントの下で演じる劇団の出身なのです。キャラバン隊を組み、子供達や、一族を引き連れて街道で演じる劇団で、芝居と実生活が同居していました。両親の率いる一座には、大声で喋り、目立ちたがりの人達が沢山いましたので、ある時自分の居場所を発見し、あの世界から遠ざかったことは、私の流儀に叶ったことだったと思っています。多分、私は地味で、内省的で、それほど社交的ではなかったのでしょう。それと、あのような世界、観衆とじかに対峙し、町の中の、時には人気の無い通りを、芝居の衣装を身に着けてねり歩く世界が怖くもあったのでしょう。私はそのようなことに、多少の恐怖感をもっていたのだと思います。そこで、一時、方向転換をして、人の話を誰かに語るという私の流儀、種々な物語を紡ぎだすという私流のやり方がまさに見つけられたのです。でも今は、再びあの世界に戻っています。次の映画ではあの芝居の世界を取り上げますから。
 
フラン・パルレ:映画学校を卒業したばかりで、映画、それも長編映画を企画することは、簡単なことでは無かったでしょう…
レア・フェネール:初めての体験としては、それほど難しくはありませんでした。もちろん、極く少ない予算しか集まりませんでした。堅いテーマですし、初めての監督映画ですから、直ちに人をひきつけるものではありませんでした。それにまた、俳優の顔の選択にこだわったからです。俳優達は、多少その業界で顔を知られている者もいますが、殆どが新人です。要するに、お金の稼げる、出資者を安心させる顔ではないということ。全員とても優秀な俳優さんですが、これはむしろ賭けをするようなものでした。けれども、映画学校を卒業した時には、私はシナリオは書き上げ完成していました。一方、フランスの映画製作業界が求めているのは、残念なことながら、特にシナリオなのです。そして、映画が出資されるのはシナリオに対してなのです。私のシナリオはすでに完成していましたから、資金調達のために一年費やして、なんとかこぎつけました。
 
フラン・パルレ:根気の要る仕事ですね…
レア・フェネール:そうです。でも一年で資金調達ができたことはいいほうですよ。映画を一つ作るということは根気の要る仕事です。私はシナリオを書くのにかなりの時間を割きましたから、二年で完成とはいきませんでした。シナリオ執筆、制作費調達、撮影、映画の封切までの期間を入れると、むしろ四年の歳月を要しました。今や、監督それぞれのリズムがありますが、自分の生活時間も加えると、映画製作は相当時間がかかる仕事です。
 
Qu'un seul tienne et les autres suivront
Qu’un seul tienne et les autres suivront
フラン・パルレ:貴女は刑務所の世界についてシナリオ全てを書かれましたが、この分野にかりたてられた動機は何ですか?
レア・フェネール:それは二つの体験から来ています。一つはずっと以前の視覚的体験です。思春期の頃のことで、私の通っていた中学校がトウールーズのある刑務所の近くにあったのです。仲間と徒党を組んで、近くの木によじ登っては、無人となった白い家のようなものの中に入り、中に何があるのか窺がいました。私が仲間達とやっていたことは一種の遊びでしたが、ある日、そこからうまく刑務所の内側が見える、その白い家の屋根ずたいにこの家に入った時、私達は一人の受刑者の妻に出くわしたのです。岬にあるような高台に立つこの家を、彼女は無認可面会室とでもいうものにみたてて利用していたのでした。格子の向こうにいる夫に叫び、語りかけていたのです。私生活や子供について語り、体操をして見せ、とりわけ男に対する愛の気持ちを、皆が見ている中で、下の通りまで聞こえるほどの叫び声で語っていたのです。この光景は私の心に深く焼きつき、封印したまま、長い間ひそかにしまっておきました。また、大学生になった時、色々な事情から、様々な社会活動に身を投じたいとの思いがつのり、フロリ・メロジスの受刑者の近親者の世話をするある協会に参加しました。勉学が許す限り、その活動を2,3年続けました。
 
フラン・パルレ:でも、そこから貴女に新しい道が開けたということでは?
レア・フェネール:道が開けたかどうかわかりませんが、男女を問わず、他所では決してお目にかかれないような沢山の人々にお会いする機会を得ました。沢山の話、突然心の中を打ち明けたり、逆に黙りこむ多くの人達。気性は様々ですが、たいていの場合、それは非常に激しい。何といっても、彼らは皆身内の誰かが刑務所に入っている人達ですから。その不在にじっと耐え、あの壁、外にいても強く感じるあの幽閉感にもかかわらず、受刑者を愛し続けた人達なのです。ある時から、私はそのことを語りたい、彼らの運命に照明を当ててみたいと思うようになりました。
 
Qu'un seul tienne et les autres suivront
Qu’un seul tienne et les autres suivront
フラン・パルレ:貴女は刑務所の内部を撮影されたのですか?
レア・フェネール:フロリ・メロジスの刑務所では撮影しませんでした。結局は、色々な理由で、マルセイユの町で撮影することに決めたからです。貧しい人々がひしめきあって住んでいる町、中心地に於いても様々な社会階層が入り交じっている町、種々雑多な国籍の者が行きかっている、通過地であり、旅行者の多い町と向き合っているという設定です。また、とりわけ冬場に、私がその独特の陽光を使って撮影することを好んだ町でした。そこで、マルセイユのボメット地区のロケハンを行いましたが、映画の設定に比べて、その場所は私には余りにも中心地に近すぎると思えました。映画では、刑務所は人家から離れて、視界から遠ざけられ、街々から距離があると語られているからです。最終的には、アルルとタラスコンの間にある、タラスコンの刑務所で撮影を行いました。廃棄物場や屠殺場やセルロース工場のど真ん中にある大きな刑務所でした。全てから見捨てられ、廃棄物に囲まれていましたが、そこでついに、ある刑務所長さんにめぐり合ったのです。刑務所の雰囲気には、その所長さんの人柄がよく表れるものですが、その方は、映画が主軸にすえる考え方、即ち、家族達は決して刑務所の面会室から更に奥には入らない、しかし、面会室を映すという考え方にかなり理解と興味を示されました。今までの映画では殆ど見せなかったことです。もちろん、アメリカ映画の中では違いますが、でもジャンルもスタイルも同一のものではありません。後日になって、本当のところ、刑務所長さんに読んでもらった台本のなかに脱走ということを入れたかどうかよく思い出さないのです。多分入れなかったのではないかと思います。その脚本の中に脱走のことを言及したら、多分刑務所の受付の段階で断られていたと思います。という次第で、刑務所の中に入って撮影したのです。面白かったことに、私たちは、刑務所の受刑者によるビデオ撮影隊に撮影されていました。彼らは刑務所の中の出来事をフィルムに収めていました。そこで撮影するということは、インパクトがあって効果的でした。あれこれとおしゃべりをしていた撮影チームは、いざそれを突然目のあたりにし、体験して、寡黙になってしまいました。私は、面会室で他者を演じる脇役たちと気持ちを共有していました。脇役の中には、偶然の出来事からか或いは何らかの事情があって、刑務所の環境をすでに知っている人が多くいましたから。そして、フィクションの中ではとても演じるのが難しかった、あの最後の場面を演じた人物に生じたこと、それは、俳優達が、実際にその場所で演じただけに一層見事な演技力を発揮できたということです。面会室の壁は、そこを訪れた人々が体験したことを私達に物語っていました。子供達は、退屈して壁に絵を描いたのか、そうではなくて、お父さんに話しが出来ない、お母さんに言いたいことが伝えられないので壁に絵を描いたのか? こういった沢山の小さな事柄が、そこで起こった様々な物語を我々に如実に語っていました。それと同時に、あの脇役の人達は、中には嘗て自ら体験した者もいて、それらの場面を一気に真に迫った演技で見せてくれました。この様に、フィクションと実人生とが入り混じって一種の爆発が生じ、これらの撮影場面全てに素晴らしい結果をもたらしました。
 
フラン・パルレ:貴女の映画のタイトル(フランス語タイトル:“Qu’un seul tienne et les autres suivront”『たった一人でも頑張って! そうしたら、他の人たちも頑張れるから』)は難解ですね。
レア・フェネール:日本語のタイトルは、映画の核心を貫くものをとりあげたのだと思います。幾つかの愛の物話を語っているからです。フランス語は、映画のプロローグ同様、「立ち向かう」ということを意味するタイトルにしたいと思いました。まっすぐ立っていようとする人達、そうでなければドミノゲームのようになって崩れ落ちてしまう人達についての映画を作りたいという思いがありました。お互いに真っ直ぐ立っているから、他の人もまたそんな風に真っ直ぐ立ち、頭を真っ直ぐ挙げ、運命にどこまでも立ち向かい続けることが出来るのです。でも少々難解なことは認めます。
 
2012年11月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:井上八汐



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