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ギャスパ−・ノエ、映画『カノン:たった一人の戦い』監督
投稿日 2000年8月1日
最後に更新されたのは 2017年7月5日
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独占インタヴユー ギャスパー・ノエ:要注意
 
『カルネ』から4年、ギャスパー・ノエは単独で鑑賞に耐える続編を作った。
1998年カンヌ国際映画祭の批評週間賞を受賞した新作『カノン:たった一人の戦い』は、一人の不遇な男と、そのおしの娘との父子相姦的関係の物語である。
 
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© Franc-Parler
フラン・パルレ:『カノン:たった一人の戦い』はご自身にもあてはまるタイトルですか?
ギャスパー・ノエ:そうであるとも、ないとも言えますね。借金がありますから。銀行に対しては孤立無援ですよ。でも友達が大勢応援してくれて、映画を作るように励ましてくれたんです。こんな風に肩をたたいて、「さあ、続けるんだ」とね。でも『カノン』を作る前からもう『カルネ』の成功でけっこう評価されたとは思ってましたよ。ただ大事なスポンサーたちがシナリオを受け取ってくれなくて、恨みがましい気持ちになっているときとか、この人たちを罵っているときは、一人でみんなを敵に回していたと言えますね。それも公然と悪口を言っていたんですから。いったん火をつけてしまうと、後に続く人が大勢いましたよ。
 
フラン・パルレ:昔から造反的だったのですか?
ギャスパー・ノエ:いやいや、僕は造反じゃないですよ。潰されるか、自己主張するかの違いでしょう。自己主張したというのは…特に当たり前のことを主張しようとするのはですね…僕の映画がアブノーマルだとは思わないな。この種の映画の制作を阻止しようとすることのほうが異常だと思うね。だから、単に存在したい、自己主張したいという気持ちだけですよ。造反というのはもっと計画的で、破滅的なものでしょう。僕の映画は社会の価値観を破滅するようなものじゃない。それがどんなものであれね。多分ちょっぴり揺さぶりをかけるということはあるかもしれない。本格的な地震の前に小規模な揺れがあるようなものです。いつの日か大規模な社会変動が来るかもしれないということをわきまえておくことは、たしかに無駄ではないですね。小さな振動でもって社会の耐久性をテストするんですよ。そうすればどの建物に亀裂が入ってどの建物が無事かということが分かるじゃないですか。映画ではめったに取り上げられないテーマだというんなら、僕だって別に直接とりあげてるわけじゃない。この映画には地震なんかないですよ。それでもつべこべ言う人たちがいるんだな。「だってそうじゃないか、これは…」とかね。
 
フラン・パルレ:じゃあ、どんなテストをしようと思ったんですか。
ギャスパー・ノエ:自分を試すテストです。つまり、自分が観客としてスクリーンで見たい気持ちを軸に映画を作れるかどうかということだね。自分が日頃から我慢を強いられているからといって、それが基準になってしまうようではだめだ。そうはいっても結構楽しんでるんだけどね。ここ数年は。でも映画を作るために重い借金を抱えているわけだし、その間友達はみんな15倍も予算をかけて何本も作っているとなると…多分彼らは彼らなりに後で悩みが出てくるんだろうとは思うけど。批評とか、プロデューサーとか編集とか、ミキサーとかね。でも僕は時々言いますよ。くそっ、俺はずっとレベル以下の条件で撮り続けているのに、あいつらはしっかり金をもらってやがる。なんで俺だけ?とね。
 
フラン・パルレ:一人で制作しようと最初から決めていたんですか。
ギャスパー・ノエ:いや、できれば気の合うプロデューサーを見つけたかったんだ。そして将来的には完全に信頼できるパートナーが欲しいとは思っていますよ。ほら、男女の仲でも結婚するカップルもそうでないカップルもいるだろう。影でコソコソ浮気をするカップルもいれば、それぞれ自由な性生活を楽しみながらびくともしないカップルもある。僕が将来プロデューサーとどんな関係をもてるかはわからないけれど、誰かそんな人が欲しいという気持ちはありますよ。お互いに制作を独占する関係ではなくて、単に一緒に映画を作る人、この問題を解決してくれる人、資金面で頑張ってくれて、こちらは編集やチーム作りの面で頑張れるような、そんな人かな。よくあるのはプロデューサーがあらかじめこちらに映画に関する権利を持たせないようにしようとする関係だね。たとえば「さて、この映画は作るのに随分骨が折れたから売上の2%は君がとるということにしておこう」と言ってくる。こちらは「待ってくれよ。いったん元が取れれば2、30%もらうのが当たり前だろう。もし監督の名前がプロデューサーよりものをいうなら半々でもいいじゃないか」というわけだ。でもプロデューサー側にはいつも金儲け主義なところがあって、自分に都合のいいように話を持っていこうとする。その論理があまりにもエゴイスティックだともう一緒に仕事をしたい気持ちになれないね。仮に相手の趣味がよくても、仮に相手がこちらと同じ映画が好きだったとしても、結局経済的な話になると向こうが親分面をするんだ。スタジオではそうでなくても、あとになって「これは俺の子だ。君のじゃない」なんて言い出す。だからずいぶん大勢の人と交渉したけど、結局はおさらばだったよ。
 
フラン・パルレ:道徳というのはほとんど使われない言葉ですが「道徳も人さまざま」だと思いますか。
ギャスパー・ノエ:道徳も人さまざま、ということはあまり聞かないね。それより「人はそれぞれ得手勝手」とか「悩みの種も人さまざま」とか聞くことのほうが多いなあ。映画のことで誰かと口論を始めると「見解も人さまざま」とか「見方も人さまざま」ということになるなあ。「道徳も人さまざま」ということは、ひとそれぞれに物の見方があるということですよ。しかし道徳というのはね、例えばお金のない人たちがこちらの映画を没にしようとするときに言うせりふのなかで一番芸のないのが「この映画は道徳的じゃない」ということなんだ。まるで映画監督がカトリックの司祭であることを期待されているみたいだよ。どこに悪魔がいてどこに天使がいるか決めるようにってね。僕は実生活の中で悪魔にも天使にも出会ったことがない。何とかして生き延びようとする人がいるだけだよ。僕は道徳的な映画を作ろうと思ったことなんかない。ただみんなにとって役に立つ映画を作りたいだけなんだ。一人一人に役立つ、人生を楽しませてくれるような映画をね。
 
フラン・パルレ:そうはいってもやはり普通ではないテーマですね。
ギャスパー・ノエ:そう。でも文学ではこの種のテーマが結構取り上げられているでしょう。ただ映画では資金集めが必要だからね。カメラは高いし、フィルムは高いし、ラボは高いし、俳優のギャラも支払わなくちゃ。こういう要素が全部集まると、映画というのは恐ろしく高くつく芸術なんだな。文学や絵画に比べてね。そこで一大産業が出来上がったわけだが、ある種の映画には補助金や事前買い上げが結構あって、その決定を下す人たちが国民の代表とは言いがたい社会階層に属しているんだ。この人たちは上流階級だからポストを失うのは怖いし、ちょっと事なかれ主義の論理で動いている。喜劇はOK。ミステリーもOK。ただし具体的な社会の現実からかけ離れていて、いかなる政治的話題にも触れていないことが条件なんだよ。
 
2000年8月
インタヴュ−:エリック・プリュウ
翻訳:大沢信子



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