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ギヨーム・ガリエンヌ、俳優、コメディー・フランセーズ正座員
投稿日 2009年6月1日
最後に更新されたのは 2016年7月27日
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ギヨーム・ガリエンヌ:演劇界の多彩
 
コメディー・フランセーズのギヨーム・ガリエンヌは、毎晩ゴールデンタイムにカナルプリュスで放映された『ギヨームのボーナス』という番組で映画のDVDのパロディを扱って以来、フランスでは広く知られた顔である。 2006年9月に、彼は(最高位の称号)エトワールを持つバレエダンサー、ニコラ・ル・リッシュ*を起用し(サルトルの作品)『出口なし』を青山鉄仙会能楽研修所舞台で上演した。この同じ場所で、彼は今回、6月28日に『聖フランチェスコ、神の曲芸師』の幕を切る。
 
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フラン・パルレ:能舞台で演じるということは明白な意味を持つものではないですよね?
ギヨーム・ガリエンヌ:それは、確かにそうですね。これは鉄仙会能楽研修所という舞台の特徴にも依ります。この舞台は能の流派である観世家に属していて、常に西洋の演劇に、この場合、特にフランス演劇ですが、開かれてきたのです。ここは、おそらく、西洋を受け入れた最初の能舞台だと思います。なぜならジャン=ルイ・バローがその舞台で観世家の前でパントマイム劇を演じてから、少なくとも40年は経っています。だから既に前例があるのです。それから彼らは私を、ご記憶にあるように、『出口なし』で受け入れてくれました。『出口なし』は能の為、能の空間の為に本当によく練り上げられた企画でした。私はこの舞台の演出を、能の舞台様式の為だけに、手がけました。それが私の関心事であり、さらなる囲い(の存在を)語りたかったのです。『出口なし』の登場人物を規範と同時に能の舞台様式の中に閉じ込めることによって。私はこのフランスの作品と能舞台との間に橋をかけ、その事によって既にこの作品が、登場人物が死んでいるとわかっている唯一のフランス演劇のレパートリーになり得ているのです。これは能の場合と同じです。この場合は、確かにダリオ・フォー(イタリアの劇作家、97年ノーベル文学賞受賞)は、この場所の美しさやスピリチュアリティとは一切関係なく、なぜならこのダリオ・フォーの脚本はアッシジの聖フランチェスコの生涯を語っているのですから。ダリオ・フォーが無神論の共産主義者だったとしても、私は無神論者というより反聖職者主義だと思います。だいたいこの脚本には膨大なスピリチュアリティが存在しています。必然的に彼がアッシジの聖フランチェスコの生涯を語っている為です。今日では、確かに少なくとも私にとっては能とこの脚本との間に明らかな繋がりはありませんが、それは素晴らしいものになり得ると私は思います。
 
フラン・パルレ:演劇以外にも、あなたは、言うなれば茶化したスタイルで、映画作品を発表されていますね。あなたにとって茶化すとは何ですか?
ギヨーム・ガリエンヌ:ああそうだね、番組『ボーナス』でね!あのね、私は必ずしも茶化すということを考えていないのです。そのかわり、私が差し障りのない表現が大嫌いなのは本当です。それは偽善者の武器だと私は思っています。それは邪悪な人間やヒステリックな人間に楽な手段を与えることだと思っています。私は茶化すということについてそのようには考えていなくて、映画界において何かに風穴を開けること、みんなが持っている小さな欠点を楽しむこと、そしてとても凝縮した方法を見いだすことを考えているのです。
 
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©Cosimo Mirco Magliocca
フラン・パルレ:あなたはコメディー・フランセーズの正座員でいらっしゃいますね。それは何を意味するのですか?|
ギヨーム・ガリエンヌ:私たちは研究員に一度なると、委員会から推薦を受けて、正座員の会合で承認されるのです。私の場合は、4年前に承認されたのです。研究員として7年過ごした後に。そして正座員になると、実際にSociété des Comédiens-Français(フランス俳優協会)の株主になるのです。これは公的機関における私的組織なのです。これはとても特殊で、おそらく唯一無二だと私は思うのですが、協会員達は皆、組織の円滑な運営による利益を享受するのです。彼らの利害関係があまりに強いので、仏共和国の大統領から任命された理事を中心に役員会を構成し、これが実際に理事会となっているのです。毎年、会員の議会で3名の会員が選出され、この選挙の後、理事が他の3名を任命し、それに加えて永久議席を有する最古参会員が居ます。具体的にはこうなっています。今や別の意味で、これはもっと強力な芸術的責任を意味しています。私たちは故にスペクタクルの品格、協会のイメージの保証人であります。この協会はエゴを超越しています、なぜならこれは協会自らが、特に一座が前進する組織だからです。コメディー・フランセーズの本質は、その一座にあり、それ故に個々の連作はなく、常に一座としてなのです。そしてその真の絆は、協会なのです。|
 
フラン・パルレ:つまり、あなたはコメディー・フランセーズ以外の活動もあるということですね。映画作品でも演じていらっしゃるのですから。それは軽い『束縛』から逃れるためですか?
ギヨーム・ガリエンヌ:そうですね、全く。まず私はスケジュールを調整します。それをする情熱と時間を見つけます。それは何故かというと私は常にそうしてきたからです。ある所に居る時は、毎回、私は同時に他の所でも常に仕事をして来ました。学生だった時、演劇の授業を取っていた時、同時に私は他で仕事をしていました。私にとって、内面においてバランスよく成長する唯一の方法が、外からも自分を見る事が出来る、ということでした。それは必須なのです。言うなれば、私は全てのことに当てはまると言いたいのです、カップルを除き(笑)。これは全てのものに作用します、カップル以外には。なぜならカップルはほとんどその対極だからです。カップルは私が十分に生きられるほどのエネルギーを内側に秘めていますが、何よりもその外側にはそれが無いのです。
 
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©Maxime Bruno/Canal+
フラン・パルレ:あなたがある役柄を演じる時、ある登場人物に取り組む時、演じる際に特別なアプローチをされるのですか。例えば、女性の役の時などに。それは異なる演じ方なのですか?
ギヨーム・ガリエンヌ:いいえ、ちっとも。それは私がだいたい演じることの出来る役柄で、他の登場人物と同じく自分のものにすることが出来ます。つまり、私は女性役を演じる事について、ことさらに表現しようと意識したことはないのです。私が女性を演じるとしたら、王様、老人、子供、技術者または映画監督を演じる時と同じ方法で取り組みます。それは毎回、一つの登場人物なのです。つまり、女性は、ただ女性であるだけでなく、さらに、キャスティングディレクターであったり、女優であったり…それから、同じ女性達から着想を得ていることがあります。この場合、多くは私の母親という涸れる事のない源泉からですが。私は(演じる時に)差をつけたりしません、それにだいたい、そうすることの意味がわかりません。それは一つの役であって、それだけです。従って、私は周囲が私を本当に女性だと取ったとしても、自分が男である事の危機は感じません。それは私には関係ないことです。私の仕事は、俳優であることで、私が提供するフィクションの世界に人々を誘うことなのです。最上なのは、そのことを出来る限り信用出来る方法で行うことです。だから、彼らが私を女性だと思ってくれたら、しめたものです。彼らが、私が男であることを数秒間でも忘れているなら、うまくいっているのです。
 
2009年6月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき



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