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「フランスが死刑を廃止するまで」(アムネスティー・インターナショナル フランス支部)
投稿日 2000年3月1日
最後に更新されたのは 2016年7月28日
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「フランスが死刑を廃止するまで」(アムネスティー・インターナショナル フランス支部)
 
18世紀末以前のフランスには、死刑の正当性に疑問を抱く者はほとんどいなかった。しかし1764年に26歳の青年チェザーレ・べッカリーア(イタリアの法律家、経済学者、侯爵)が『犯罪と刑罰』を出版。それ以降少しずつ流れが変わり、新しい時代が開け始めた。死刑をめぐる議論が交わされ始め、やがて最初の死刑廃止論へと発展していった。
18世紀末、フランスでは司法制度の機能が問い直されていた。ヴォルテールは死刑廃止こそ訴えなかったが、処刑の残虐性に異を唱え、司法制度の改正を求めた。二件の凶悪事件(カラス事件とシュヴァリエ・ド・ラ・バール事件)の有罪判決は、啓蒙思想家や知識人、さらには今で言う「世論」の抗議の声を引き起こした。
憲法制定議会の討論の場で死刑反対を唱えた意外な政治化がいる。それはロベスピエールだった。彼は「死刑は第一に本質的不正義である。第二に最も有効な刑罰ではない。死刑はそれが予防するよりもずっと多くの凶悪犯罪を作り出す」と訴えた。
1791年の春、憲法制定議会が採択した新しい刑法の第3条には「すべての死刑囚は断首される」とある。そこである発明家が、特別強力な刃を使ってなるべく苦痛を与えずに殺す方法を提案し、死の前の「平等の原則」を強調した。ギヨタン博士はこの案を実行に移し「一瞬で首をはねてさしあげますから、苦しまずに済みますよ」と語る。この機械は1792年4月25日に稼動し始めた。
しかし死刑廃止思想が歩みを止めたわけではなかった。数年後の革命暦4年ブリュメール4日、国民公会は極刑の廃止を決定する。ただそれには「全面的な和平が公布された日以降」という致命的な但し書きが付いていた。この限定条件付死刑廃止法は、1810年のナポレオン法典によって消滅した。
執政政府と帝政が倒れ、王制が復古した後も死刑執行は続いていた。だが19世紀にヴィクトル・ユゴーが『死刑囚最後の日』を出版したのをきっかけに、死刑の是非についての論争に再び火がついた。著名な学者や法律家、文学者などが、野蛮かつ無益な死刑に反対して立ち上がった。だが彼らは社会秩序の名の下に死刑を擁護する人々の抵抗にぶつかる。「もし国家が死刑を廃止すれば、近隣諸国から犯罪者が流入してくるのではないか。」
1838年3月17日、ラマルティーヌは閣議で死刑廃止を訴え、「進化した社会においては死刑はもはや無益であり有害である」と宣言する。第二共和国の臨時政府は1848年の政令で政治犯の死刑を廃止した。1853年6月15日には第二帝政もこれを確認する。だが何が政治犯罪だという定義があったわけではない。現在に到るまでフランスで「政治犯罪」の定義づけがなされたことはない。
長年にわたり数多くの議員たちが国会で死刑廃止を訴えた。だが彼らの訴えが功を奏するには、アルマン・ファリエール大統領の就任を待たねばならなかった。信念の死刑廃止論者ファリエールは、1906年1月、共和国大統領に選ばれると同時に死刑廃止論争を議会討論の日程に載せた。下院の予算委員会は、ギロチンの維持費と死刑執行人の給与を撤廃する議案を可決した。クレマンソー内閣のアリスティッド・ブリアン法相は、閣議に死刑廃止法案を提出した。この法案が出されたのは1906年だが、国会での討議に付されるには1908年12月8日を待たねばならなかった。法相の熱烈な訴えを指示した政治家にはジャン・ジョレス、デシャネルら、逆に存置論を展開した知識人にはモーリス・バレスがいる。投票の結果、死刑存置に賛成したのは333票、反対は201票だった。否決された理由は単純である。審議中に幼い少女が殺されていたのだ。容疑者の裁判は1907年7月23日に始まっていた。判決が下される前に、日刊『ル・プティ・パリジャン』はすでに容疑者に有罪を宣告していた。マスコミはこの残酷な事件を最大限に利用した。
こうして死刑存置の法案が採択された。その後3年間の執行停止期間を挟んで処刑が再開され、1906年から1929年の間に223人が、1934年から1938年の間に89人が処刑された。
1939年に執行された一件の死刑は、世論を覆してもおかしくないものだったが実際にはそうはならなかった。6月16日、ヴェルサイユ。ギロチンの組み立て方が悪く、首かせも刃も不良品だったので、刑の執行はとりわけ残酷な形で展開した。見物人はあたかも祭りのように詰め掛け、「群集が臆することはなかった」と『パリ・マッチ』誌は報じている。数多くの写真が誌面を飾った。だが死刑執行に伴う一連の「事故」の後、政府は臨時閣議を開き、6月25日付けの政令で執行の公開を停止することにした。そこで、それ以降は処刑は非公開となった。
ドイツによる占領時代には特例法の元でギロチンが使用された。ペタン元帥は、ほぼ50年間続いた慣例を破って5人の女性をギロチンに送った。オリオル大統領はこれを踏襲し、1947年と1949年、夫殺しで有罪となった2人の女性への恩赦を拒んでいる。
死刑執行は年間1件から4件の割合で続いていた。アルベール・カミュとアルフレッド・ケスラーは『ギロチンに関する考察』という見事な死刑反対論を出版した。
ジョルジュ・ポンピドゥーの大統領就任は廃止論者たちに一抹の希望を抱かせた。1969年6月15日、ポンピドゥー大統領は彼の就任以降に死刑を宣告された6人の囚人に恩赦を与えた。だが廃止論に傾いていた世論調査は新たな事件によって覆される。1971年9月21日、ある刑務所で二人の受刑者が看護士一人と看守一人を人質に取った。この二人は警察の突撃の後、喉を切り裂かれた遺体で発見された。裁判の判決が公表されたとき、1972年6月30日付けの『ル・パリジャン・リベレ』は、「喉切り魔のビュッフェとボンタン極刑に」との見出しでこれを報道した。
ポンピドゥーは恩赦を拒み、ビュッフェとボンタンは1972年11月29日に処刑された。「またしても刑事行政が正義に優先した」と著名な社会学者ミッシェル・フーコーは記している。「刑事行政は、訴訟以前、恩赦以前に自らの「正義」を要求し、それを押し付けたのだ。」
3年後の1974年6月3日、新たな悲劇が起こる。一人の少女が誘拐され、二日後に遺体で発見された。20歳になったばかりのクリスチャン・ラヌッチが逮捕され、整合性のない捜査の後に裁判に付され、死刑を宣告された。彼は弁護士に言い残す。「僕の名誉を回復してください。」ジスカール・デスタンは大統領恩赦を拒絶する。1977年1月18日にはパトリック・アンリの忘れ得ぬ裁判が始まる。ある週刊誌は『首無し男の裁判』と見出しをつけてこれを報じた。弁護の余地がなかったからだ。彼は身代金目的で一人の子供を誘拐、監禁し、殺害していた。逮捕される前に、彼はこうも語っていた。「子供に害を加える人間は死刑にしたほうがいいと思う。」3日間の弁論と2時間の審議の後、彼は終身刑に処せられた。
クリスチャン・ラヌッチが死んでから、ジスカール・デスタンはさらに2度、死刑囚の恩赦を拒んでいる。フランスでギロチン刑を執行された最後の囚人はハミダ・ジャドゥイ、1977年9月10日だった。
ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領の任期が切れる頃始まった運動は、ようやく幅広い死刑論議を呼び起こした。死刑が選挙運動の争点の一つになったのだ。ジスカール・デスタン候補は「私は死刑に深い嫌悪を感じる」としながらも「こうした変化は平穏な社会にしか起こり得ないと思う。」と言葉を濁した。フランソワ・ミッテラン候補は明快だった。「私は良心の奥底から死刑に反対する。」
共和国大統領になってからミッテランは最初の死刑判決に減刑を適用する。1981年8月26日の閣議では、死刑廃止法案が承認された。この法案はロベール・バダンテール法相によって国会に提出され、国民議会では363票対117票、上院では160票対126票で可決された。そこでフランスでは、1981年10月9日の法律81-908号によってあらゆる普通犯と軍事犯に対する死刑が廃止された。この法律は翌日から施行された。法律の第一条には「死刑は廃止された」とある。フランス各地の刑務所にいた6人の死刑囚は恩赦を受けた。
 
2000年3月
アムネスティー・インターナショナル フランス支部提供の文書から
翻訳:大沢信子
 
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