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2004年3月 これは演劇ではない/これは演劇である −太陽劇団『最後のキャラヴァンサライ−荒れ狂える大河』
投稿日 2004年3月7日
最後に更新されたのは 2013年8月1日

これは演劇ではない/これは演劇である
−太陽劇団『最後のキャラヴァンサライ−荒れ狂える大河』
松原道剛

Foyer de la Cartoucherie

冒頭、アフガン人難民たちが、キルギス人渡守の手引きによって、上手側から下手側に張られた一本のロープを頼りに、国境をへだてる荒れ狂う河を渡ろうとしている。数人が渡ったのちに、ますますひどくなる流れの勢いに、これ以上は危険だから諦めるようにと主張する渡守と、国境警察に捕らえられるわけにはいかないと続行を望む難民たちの怒号のなかで、小さな渡箱に乗った難民が流され、最後には張られたロープも切れてしまう。大音響とともに舞台全面に広げられた数枚に分けられた大きな布が、なかに流れ込む大量の空気と端と隅を上下にはばたかせる俳優たちによって**これは前作『堤防の上の鼓手たち』映画版で彼らが見い出した手法だ。死者たちの血に染まった赤い布ではなく、彼らの逃亡を手助けするかのような暗闇の暗いグレの布**大きく揺れ動くなかで、観客たちはすぐに舞台に引き込まれてしまう。この死と直面した情況下での大音響と怒号と迅速さは、ここではまだ人為的で不条理な権力に対する闘いでなく、ときとして運悪く猛威をふるっている自然に対する闘いでしかない。難民たちはあるいはその自然の猛威にまぎれようとしているのかも知れない。
 太陽劇団の3年半ぶりの今回の新作は、直接には2001年9月11日**そのときかれらは東京公演中だった**直後に始められたアフガン戦争による難民を題材としているが、この劇団の演出家アリアーヌ・ムヌシュキンはそれ以前のルモンドの小さな記事がきっかけとなったことを明かしている。そしてイラク出身のクルド人女優サガエーグ・べへシュティを通訳として、北フランス、マンシュ海峡に面したカレ郊外のサンガットの難民センターを取材、その後公演に訪れたオーストラリアのシドニーの難民キャンプをはじめとして、そこからニュージランドのオークランド、インドネシア・ロンボク島のキャンプにまで足を伸して、アフガン難民へのインタヴュを行っている。
 そして、ここで扱われているのはもはやアフガン難民にとどまらない。「私たちの記憶の最初に、戦争があった。イリアッドが物語にした。戦争のあとには『オデュッセイ』が書かれた。生きても死んでも、国へ帰れなかった者が、この地球上のあらゆるところに存在した。今日、ふたたび戦争が行なわれている。」とこの劇団の演劇作家エレーヌ・シクスは書き始める。インタヴュに基づいたドキュメントをまとめ、俳優たちはグループに分かれ、それぞれの「物語」を理解し、心奥深くに感じ、登場人物を創出し、衣装をまとい、台詞を声に出し、そして身体に読み込んでいく。それは長期間にわたって繰り返されてきた膨大な「即興」の堆積。一方、インタヴ ュを受けた難民たちはその後さまざまな道程を歩み、行方不明になった者も、またこの劇団に滞在し、実際に俳優として舞台に立っている者もいる。
 それらの過程のなかで創作された物語は「国境」「アフガニスタン」「イラン」「道程」「サンガット」「カレ」「モスクワ」「アフリカ」「鉄道」などのグループに分類され、タイトルをもっているものだけで109を越え、さらにそれ以上が構想され、生み出されようとしている。それらのグループから19の物語をピックアップして、「荒れ狂う河」とサブタイトルをもったヴァージョンとしてこの4月より公演されている。秋以降、ほかの物語からもうひとつのヴァージョンとしてまとめられることになっている。
 1999年9月から2002年暮までの期間、フランス赤十字によって設けられていたサンガット難民収容所の、冒頭とは対照的な一転静かなシーンでは、一台のキャビンが、ゆっくりと回転しながら登場する。蛍光灯の白い光に照らし出された診療所棟では、戦争のせいか、あるいは逃亡によってか、片脚を切断されたという情況をすでに受け入れているかのようにみえる若いイラク難民の患者に対して、看護婦が手当てをしながら落ち着いた英語で話している。
 難民たちの当面の目的地である英国をめざして、同じ大陸のはるか彼方から、あるいは海を越えて集結したこの北海に面したセンター**コソヴォ紛争時には、証明書も、住所も、そして祖国もなくしたのべ七万人が滞在し、ここで死亡した者ばかりでなく、新しい生命も誕生した**から、新しい生活の希望があるかに見えるとりあえずの最終地に向かうためにも、さまざまな手段を講じなければならない。何ごとも金次第というのが、とりもなおさずこの世の常である。ロシア人難民の母娘が、この最後の関門の手引人への費用を工面するために売春行為におよぶ。やがて彼女らの行為が発覚し、取り調べに連行されると、その隠された収入の総額を別の難民たちが盗む。
 そのようなセンターでは、有給であれ、人道的支援として働いている赤十字の若い女性メンバーたちにも緊張が強いられる。この怒号や大騒ぎに充ち、当初気が狂いそうになったこの異次元の世界も、やがて彼女たちの人生そのものになっている。英国との交渉によって決定された02年暮のセンター閉鎖後には、それにもかかわらず集まってくる難民ともに、彼女たちも失業者になって行き場を失う。この海峡はすでにトンネルで結ばれ、そこを横断するフェリーをフェンスごしに眺められるとしても、難民たちにとっては歴史上いくたびとなく大陸と島国を隔ててきた状況は変わらない。
 テヘランでは女性解放運動のデモに参加、逮捕され、むち打ち刑をうけた妹を慰める兄を見て、イラン人の父親は、即座に自宅を処分して逃亡生活、すなわち「難民になる」ことへの決断をくだす。こうして、失われた自由と強いられる抑圧によって、人々は宛のない旅に出るしかない。あるいは民族間の紛争、権力側の表向きな決断の裏では、多くの難民を生み出すという構図。しかもかれらは戦争に出かけて行ったわけではない。それまで生活を営んでいた地に、他所から軍隊がやってきて、生き延びるためにのみ、やむなく家を捨て、仕事を捨て、国を捨てるのだ。彼らは戦争が終結しさえすれば、政権が交代しさえすれば祖国に戻れるとは限らない。あるいはそのときに彼らが戻りたいと望む祖国は、もはや存在していないことだって十分ありえるのだ。すべてを失った難民たちが、最後に唯一携えているかれら自身のそれぞれの固有の物語とその記憶。
 また一方、宗教的偏狭さをもあきらかにされる。愛しあうアフガンの恋人たちは、そのナイーヴさだけでは、3人のタリバンの男たちにいびられ、引き裂かれるばかりでなく、とうとう最後には、女性は死へと追い詰められてしまう。その理不尽だというしかない結末に、観客たちは、鳥の糞を落とされて怒っていたタリバンを笑っているこちらのナイーヴさをすら見透かされてしまう。恋人たちの台詞もほとんどないシーンに底知れない恐怖心が横切る。
 鉄条網をやぶってユーロトンネルに潜り込むという危険を犯すにも、手引人への賄賂が必要だ。さまざまな人種の手引人たちが跳梁し、利権をめぐる争いからとうとう殺人までおこる。一方、カレの海岸でも難民たちの財産はこともなげに巻き上げられ、雨のなか売春取引が横行し、現金が略奪される。そしてここでも殺人。もうこの地は、フランスにあっても無法地帯かのようだ。
 カブールからモスクワ、テヘランからサンガットと、ユーラシア大陸のさまざまな場所を舞台に、それぞれの断片的シーンが、さまざまな現実の情況を告発するかのように、ときには見透かすかのように描かれていく。それぞれの事情も異なるさまざまな**アフガン人、タジク人、イラン人、クルド人、ロシア人、ブルガリア人、チェチェン人、ボスニア人の**難民たちが登場し、それぞれの物語が、暗いトーンの色彩しかない、影が支配的な舞台上につぎつぎと展開する。
 いつもより少し高くなって黒く塗られた舞台面には、両サイドに客席レベルからのスロープが設けられ、舞台前面に弾壕のような幅のせまい切穴が通っている。いつもと同じ背景幕の裏には、由緒あるはずのこのカルトゥシュリのファサードを壊してまで、仮設テントに被われた空間が建物前面に張り出して付け加えられている。ときどきその背景幕が上がって、この奥舞台から台車に載ったさまざまな装置が登場してくる。難民収容所の仮設宿舎や診療棟、恋人たちが逢い引きする小屋、あるいは収容所を隔てるフェンスや海岸の護岸、あるいはバス停やのどかな電柱など。装置でなくとも、登場する俳優たちも、全員が常にこの台車に乗っていて、それを別の俳優たちが動かしている。だから登場人物たちの動作は、その台車の上の小さなスペースに限られる。しかし、ほとんど何もない広い舞台上を台車は、ゆっくりとあるいは早く移動しながら、登場人物を演じる役者たちは移動のための余計な動作から免れることができる。広い舞台と小さな装置の対比という、さまざまなシーンに共通した単純化された美しい舞台形式。そしてそれらのシーンを明確に特徴付けるジャン=ジャック・ルメートルの音楽と音響。これらのさまざまな要素があいまって、たぐいまれな舞台が観客の現前に提示されている。
 カルトゥシュリの一番奥のエントランスとロビーの建物の、これまで北インドからチベットにわたるヒマラヤ山脈の地図が大きく描かれていた正面の壁には、今回の舞台であるユーラシア大陸のなかほどアフガンを中心として、西は地中海と北アフリカ、東はインド洋からスンダ列島、オーストラリア大陸にニュージーランドが描き直されている。それは赤道上の太陽の軌跡からの視点のようだ。しかし太陽に照らし出されたとしても、もし見い出そうとしなければ、その下を動き回っている人々の軌跡を見い出すことはできないのかもしれない。それはかれらが太陽が上空を通過するときを避けて、闇にまぎれて行動しているからばかりではなさそうだ。あるいはわたしたちは、あえてそこで起こっている現実を避けようとはしてはいないのだろうか。
 いずれにせよ、前日、そこに描かれている大陸の、北側の距離の短いルットを、ほとんど何の意識も想像力ももたずに横断してきたばかりのわたしにとって彼らの半年近くにわたる実際の作業の中で創造されたこの作品が何なのかを判断するのに、しばらく時間が必要だったのは事実である。終演後しばらくカルトゥシュリのロビーをうろうろしたあと、バスに乗り損ねて歩いたヴァンセンヌの駅までの間も、その後のパリ滞在期間中にも、この判断は留保されたままだった。これまでに述べられているような演劇の政治的発言にも、また「野蛮に対して闘う芸術」にも、もはやとどまるものでもない。はたしてそれは演劇だったのだろうか。あるいはかれらの創造したものはこれまでの演劇の概念すらも大きくはみだそうというものだったのかもしれない。それは、おそらく演劇の前衛であると同時に原点でもあったに違いない。
(2003年6月20日カルトゥシュリ)
カイエテオロス第28号所収
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