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2004年8月 演劇フラヌリー 第3回 新劇とフランス演劇
投稿日 2004年8月6日
最後に更新されたのは 2015年6月25日

外国の演劇作品が、ただその生まれ故郷でしか価値を持たないとしたら、世界中の演劇はきわめて貧しいものになっていたにちがいありません。ある文化圏の演劇は、外国公演のような直接的な舞台そのものであろうと、あるいは翻訳劇として上演する場合のような間接的上演であろうと、いつの時代にも異なる文化圏に影響を与えてきました。
 今月はこの5月から6月にかけて東京で上演された作品を通して、日本でフランス演劇をどのように受け入れていくべきか、ふたつの文化圏がどのように接続されていくべきなのかを考えてみたいと思います。

 まず、ふたつの文化が直接的に衝突するケースとして恰好の例となったのは、ギィ・フォワシィ・シアターがアヴィニョン市の常設劇団、劇団ラ・タラスクを招いて行った『シカゴ・ブルース』です。この公演は、ひとつの同じ作品をギィ・フォワシィ・シアターと劇団ラ・タラスクの双方のヴァージョンで同時に見られる、という企画です。もちろんタラスク版はフランス語上演ですから、先にギィ・フォワシィ・シアター版を見て、作品の内容を頭に入れてもらった上で、という段取りになります。タラスク版上演に際しては、字幕は用いません。
 この企画の面白みは「対比」にあります。装置も演出も違いますし、もちろん俳優も違います。日本版(沢田次郎演出)は3枚の大きな衝立を、各場ごとに移動させて場面をつなぐ方法をとりました。フランス版(クロディ・ルモニエ演出)は、黒を基調とした空間に、椅子やテーブルなどのさまざまな小道具を配し、俳優自身が装置を運んで舞台転換するスタイルですが、場面によっては背景の黒幕が開かれると、一面に落書きされた巨大な幕が現れるという装置です。これは作品そのものを現代の郊外へとつなぐ意味合いを持っています。『シカゴ・ブルース』は20年前に初演された作品ですから、こうした工夫は必要かもしれません。(この作品は日本で初演されたもので、その経緯もあって今回の企画もなされています。経緯の紹介は拙稿、雑誌「テアトロ」2004年6月号を参照してください。)
 作品の解釈にも大きな違いがありました。『シカゴ・ブルース』は、一人の女性(自称)テロリストが、無垢の内気な市民男女を巻き込んで、社会を相手に叛乱を起こし、犠牲になっていくという筋立てです。弱者に対して無理解な社会に、弱者が叛旗をひるがえすと、簡単につぶされてしまうという話です。この最後の場面の意味合いが双方の演出では大きく異なっていました。アパートが大規模な軍隊に包囲されてしまう、という滑稽な状況とは裏腹に、ルモニエ演出は、孤独な弱者が犠牲になる姿をリアルなものとして描こうとしました。これに対して沢田演出は、これをあくまでも「虚」の世界として位置づけようとしました。この犠牲は孤独な弱者が夢見る、他愛ないヒロイズムなのだ、と云わんばかりに、テロリスト女性は女王のごとく玉座に座りますし、彼女が被るヘルメットも滑稽な羽がついた装飾のものです。こうすることで、一見、単純なフェミニスムを訴えるかのようなこの作品を、その渦の中に優柔不断が災いして巻き込まれてしまった、その名もムーシュ(蝿)なる、冴えない男の犬死、というドライなユーモアに包み込もうとする意図がありました。
 しかし、こうした対比を見るだけならば、なにもわざわざフランスから劇団を招かなければ見られないわけではありません。同一作品を異なる演出で複数ヴァージョン見せる、という企画は当節、日本でもときおり見かけるようになりました。ですから、この企画を通して本当に対比してみるべきなのは、日本の俳優がやはり抜け出せない「新劇」という近代演劇の様式が、そういう様式から自由なフランス演劇の俳優とどのように違うのか、という点です。
 そういう意味で最も顕著なのは、フランス演出における台詞の軽さとスピードでした。すべての台詞が、あたかも鳥がさえずっているかのように繰り出されてきます。おそらくこれに匹敵する日本の芸を求めるならば、それは関西の「しゃべくり漫才」にしかありません。ざっくばらんに言えば、フランスの喜劇は「漫才」の延長線上にある、と考えるべきなのです。ところが、この軽さとスピードを日本の俳優に要求することは、そう簡単な話ではありません。なぜなら、日本の「新劇」の枠のなかで訓練を受けてきた俳優は、一般的に演技と心理を切り離して考える習慣を持たないからです。台詞に心理が常に貼り付いてしまうのです。悲しい場面は悲しく、嬉しい場面は嬉しく、という演技です。そういうふうに演技する習慣なのです。つまり、乱暴な言い方を承知で言えば、「新劇」の演技身体は、台詞の意味内容に対して「副詞的」にしかはたらかないのです。ですからひとつひとつの台詞が重くなります。このスピードを上げようとすると、それに伴って心理的なエネルギーも一緒にふくらんでしまいます。スピード=怒鳴る、という公式から自由になることができないのです。フランスの俳優は、台詞の意味内容は台詞に任せます。悲しい、嬉しいは台詞に書いてあるのですから、言えば伝わるのです。そこでは演技身体は、台詞とはべつのコードを持った何かです。
 今回の舞台写真を撮影した中川忠満さんから、日仏双方の上演写真をたくさん見せていただきました。実際に舞台上で動いている俳優を見ていると気づきにくいことが、写真にして瞬間を切り取ると分かります。フランスの俳優は、一瞬一瞬のポーズが、日常の姿勢とはべつの、演技のレベルできちんと造形されています。「常につま先にまできちんと力をかけて、身体全体をコントロールしている」と、中川さんは指摘してくれました。
 日本側は、台詞に心理的な加重がなされる分、テクストの細部をたっぷりと語りこむことで、この作品にこめられた情緒を、ある部分、増幅して効果を上げました。これはフランスの演出からは抜け落ちてしまう要素です。この意味では、日本側ムーシュを演じた伊藤絋さんの醸し出す深みは、忘れがたい印象を残しました。
 結論の出ない問題なのですが、新劇はやはり心理劇から抜け出せないのかなあ、と思いました。

 もうひとつ、取り上げて考えてみたい舞台は、俳優座が上演したモリエールの『タルチュフ』です。この作品の上演が一筋縄ではいかないのは、『タルチュフ』上演が今日まで持っている記憶の集積との対決を避けては、これを上演することが不可能な点にあります。日本で上演するのだから、そんなに大仰に考えなくてもいい、と思われるかもしれません。しかし、若いグループが演じるならいざしらず、俳優座は俳優座としての歴史を持ち、モリエール、あるいは『タルチュフ』上演の記憶を背負っているわけです。これを無視することは許されません。とりわけ今回の公演でタルチュフ役を演じた中野誠也さんにとっては、かつて千田是也が演じたタルチュフの記憶が、ご自身のなかに生々しく残っています。かつてのように偽善者として醜悪なタルチュフを脱した、新しい人物像を提出したいというのが、中野さんの抱負です。
 ところがここに厄介な問題が絡んできました。『タルチュフ』のようなフランス古典劇の中核を占める作品には、過去のフランス上演を収めたビデオなどが残されています。私の知るかぎりでも4種類が入手可能です。また、風間研さんの著書『舞台の上の社会』をはじめ、フランスにおけるこの作品の上演を知る手がかりも少なくありません。今回の演出にあたった安井武さんも、可能な限りこうした資料に目を通して演出上の参考にした、と伺いました。その結果、そう多くの観客ではないにしろ、フランスでの『タルチュフ』上演史に詳しい人の目には、俳優座の今回の舞台が、先行するフランスの演出ときわめて似ているという印象を残したのです。
 もちろん、先行演出を参考にすることは悪いことではありませんし、場合によってはアイデアをいただくことも一概に悪いとは言えません。活字化された作品にあるような著作権という概念が、演出という領域においてどこまで適用されるべきものか、とても難しい問題です。そもそも、日本の新劇の幕開きとなった築地小劇場の演出は、小山内薫が記録したモスクワ芸術座などの演出を、そのままやっていたようなふしもあります。真似をしてはいけない、というのは正論にはちがいないのですが、日本の新劇はそもそも西洋の真似の上に成立したのです。それを言われると新劇の立つ瀬がないのです。しかし、少なくとも、安井さんはプログラムにでもいいですから、しかじかのものを見て「良い」と思ったから、それを取り入れてみた、と断り書きを入れるべきだったとは思います。
 そこで『タルチュフ』の演出がフランスでどのように移り変わってきたのかを、以下に簡単に振り返ってみたいと思います。
 戯画的なまでに誇張された醜男の悪党タルチュフの化けの皮が剥がされる、という喜劇として、宮廷的な雰囲気のなかで上演されていた『タルチュフ』が、現代的な装いのもとに新しい生命を獲得したのは1962年のロジェ・プランションによる演出がきっかけとされています。50年代にフランスに影響を与えたブレヒト主義の波をかぶったプランションは、モリエールの『ジョルジュ・ダンダン』の舞台に、社会階層の対立という図式を当て込んで上演しました。成り上がりの富裕農民が痛い目にあう笑劇を、貴族階級に対する農民の反抗として見せてしまう舞台装置が、そのまま社会の見取り図として機能している舞台です。直裁に言えば、これはブレヒトが、あらゆる演劇的なふるまいは社会階級を示すふるまいであるべきだ、と言ったことに通じています。プランションは『タルチュフ』にもこうした方針を適用して、フロンドの乱という貴族の反抗分子の内乱を制圧したルイ14世が絶対的な王権を確立していく背景のなか、この王権と手を結んで伸張したのが上層ブルジョワジーに他ならない、という歴史解釈を施します。これは17世紀の歴史を借りて、19世紀以降、社会を支配したブルジョワジーの姿を浮き彫りにするという二重底になっている演出です。この演出は、それまでの古典喜劇上演が常識としていた、上流階級の貴族的邸宅で、貴族がかつらをつけて登場するモリエールを粉砕しました。なにしろ、舞台は瓦礫が散乱する工事現場。王権と結託したブルジョワジーに訪れた「バブル」で、邸宅は大増築という設定なのです。
 78年にアントワーヌ・ヴィテーズが演出した『タルチュフ』は革新的なタルチュフ像を提出しました。タルチュフは当時の若者のような自堕落な青年の姿で登場し、偽善者としてよりも誘惑者としての側面を強調します。これはタルチュフ=悪党という図式を反転したもので、ここにおいて『タルチュフ』は自由な読解の対象となったと言ってもいいでしょう。
 80年はコメディー・フランセーズ創設300周年の年。『タルチュフを』演出したジャン=ポール・ルシヨンは、この劇を小さな出入口が奥にひとつだけある空間に展開させました。ある種、時代の閉塞感がにじみ出る装置だとも言えますし、作品を密室劇として見せることで「見る・見られる」ことから成り立つこの作品のドラマを前面に出したとも言えましょう。モリエールがいかに「見かけ」に左右される人間を描いたか、というバロック的な想像力からモリエールを考察する研究もこの頃さかんに出ました。
 90年代に入ると『タルチュフ』は社会の偽善と深く結びついた演出で上演されるようになります。相次ぐ汚職や薬害エイズ事件でフランス政府の中枢がぐらついた時代を反映して、タルチュフはますます等身大の、身近な存在として描かれるようになります。なかでも太陽劇団が95年に上演したものは、タルチュフをイスラム原理主義者へとスライドさせることで、タルチュフを裁く西洋の原理ともども、世界の政治力学を相対化する視座を突きつけました。
 97年のピトワゼ演出は、風間研さんの本に詳しく紹介されています。子供っぽい直情的な息子、父親べったりの娘、もはや自立することができない不完全な大人たちの家族。家長がタルチュフの力を借りて家族を教化するのも当然だ、といわんばかりです。ここでも装置はルシヨン演出と同じようなものが使われていますが、この間の経緯については私の知識も乏しいので、どなたかにご教示いただきたいところです。
 このピトワゼ演出が俳優座の今回の公演と非常によく似たコンセプトを持っています。出入口こそ左右袖にもあってひとつではありませんが、白い壁に囲われたなかに椅子が二つだけ、という装置も同じです。(ただしピトワゼは子供用の椅子。)息子や娘の造形もよく似ています。しかしながら、ピトワゼの演出では登場人物はグロテスクなまでに戯画化されているという特徴があります。俳優座の場合、現代風というコンセプトが、そのまま素通しになって舞台に出てきています。いくつかの場面で人物が居るポジションも、ピトワゼのものと同じような場面が多々あります。とりわけ問題なのは、俳優座の舞台がピトワゼ演出に似ているのは、それを紹介した風間さんの著書に書かれてある記述において、とりわけはっきりと模倣の痕跡があることです。
 肝腎のタルチュフは喜劇的には成功した例だと思います。幼児的な不気味さが漂っていて不可解なところも含めて、一言で言えば敬虔さをわざとらしく演じている「演技型」のタルチュフでしょう。若手の俳優陣も良いキャラクターを出していました。私はとても楽しんだのですが、ご覧になった方はいかがお思いでしょうか? 高校生からお年寄りまで万遍なく笑っていた客席の光景は、本当にこれが日本の新劇なのか、と驚いたしだいです。こういう道を進んでいけば、新劇は支持されていくだろうと思いました。嬉しかったです。ただし、オリジナリティーを問われれば疑問が残るのは仕方ありません。最先端の演出を追及する姿勢はもはや放棄したも同じことです。ですから、これはきちんと模倣の部分があることを認めた上で、楽しいものとして確立させていけばよいのだろうと考えます。ともあれ、ビデオ時代の産物というのでしょうか。あえて功罪は棚に上げて、フランスの先端演出を参照したモリエールが娯楽として出現したのは、ひとつの事件だったように思うのです。
 私はやはりこの舞台に対する屈折した評価から、抜け出せません。

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