フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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レジス・ロワイエ、映画『葡萄酒色の人生 ロートレック』主演俳優
投稿日 1999年8月31日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
レジス・ロワイエ:ロートレック、絵画からスクリーンへ
 
舞台で世に認められたレジス・ロワイエだが、ロジェ・ブランション監督の『葡萄酒色の人生 ロートレック』ではマル・デル・プラタ国際映画祭の最優秀男優賞を獲得している。スクリーンと同様プライベートでも情熱的な人柄を感じさせるロワイエに話を聞いた。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:あなたはどちらかというと舞台人ですね。
レジス・ロワイエ:そのとおりです。16歳で舞台に上がり、それ以来ずっと続けています。それからロジェに出会い、1990年に一緒に仕事をしました。舞台では毎年一本ずつ演じています。いいものですよ。毎晩演じていくなかで舞台というものの現実がわかってくるんですから。学校で必ずしも学べるとは限りませんからね。でも一応コンセルヴァトワールにも行きました。よかったと思います。いずれにしても僕の人生ですから。
 
フラン・パルレ:どんな風にデビューしたんですか。
レジス・ロワイエ:実は国語の先生に少し演劇を習ったのがきっかけでした。よくある話です。それから職業生活に親しむために企業研修をするようにという学校の指示が生徒全員にありました。そこで、どうせならと思って直接劇団にアプローチしたんです。僕はありったけの劇団に電話しました。そのうちの一つが受け入れてくれたんです。僕が入った週には、たまたま団長が『にんじん』を演じる男優と女優をひとりずつ探していました。彼は僕がやってきたのを見ました。僕はそこにいられるだけで大満足で、演劇についての質問を山のように彼に浴びせました。団長は、よろしい、ちょっとテストしてみようと言い、その結果、採用されることになったのです。一週間で僕の人生はすっかり変わってしまいました。来たときは演劇かぶれの学生に過ぎませんでした。でも一週間後にはパリで2ヵ月間演じる契約にサインしていたんです。これは大成功で、結局2年間演じることになりました。だから16歳から18歳までになりますが、毎晩演じてゆくのは本当に勉強になりました。オン・ザ・ジョブで仕事を身に付けたんです。本当によかったと思います。
 
フラン・パルレ:ではコンセルヴァトワールはどうでしたか。そこで何か得られましたか。
レジス・ロワイエ:僕はコンセルヴァトワールに入ったときは23歳でした。演劇の仕事を始めて7年たっていましたが、同じ年代の仲間がいなかったので孤独で、つらい思いをしていました。コンセルヴァトワールに入ったのは正解でした。3年間は思い切り楽しみました。ここはすごいところです。劇場がたくさんあって、すばらしい先生たちがいました。それに仲間たちとの出会いです。彼らとはこれからも一緒に成長して行くことになるでしょう。ここでは3年の間、やりたい役は何でもやらせてもらえます。いろいろ試してみることも、失敗することも、やり直すこともできます。試しながら、兎にも角にもどんどん演じてゆくんです。この3年間が過ぎると、ずいぶんやったから基礎が固まったという感じがあります。とにかくいろいろやりました。
 

フラン・パルレ:コンセルヴァトワールの仲間に会うことがありますか。
レジス・ロワイエ:はい。そういえばコンセルヴァトワール時代の友達にジェローム・ロバールという人がいます。彼は『テス』という戯曲を書いていますが、これは驚くべき大傑作です。僕はこれを2月に上演するためにプランションの誘いを断り、ジャック・ラサルを断り、ジョルジュ・ラヴォーダンにもノーと言いました。ずいぶんな話ですが、この本は体を張って守るだけの価値があるんです。これまで上演されたことがなく、すごく気に入っている台本なんですから。ここには現代の人間が描かれているんです。演劇のいいところはありとあらゆる疑問が提起できることです。世界は変わって行きます。いろいろなことが問い治されて行きます。一世代前の人々が生きていた世代は私たちのものとは違います。彼らはもうお手上げ状態ですし、僕たちにしてもついて行けないことがあります。僕にとって一貫性を持つというのは根本的に重要なことなんですが、ここでは俳優であるという事実と、現代の本当の問題に促して発言しようとする作家の仕事を支えようとすることがぴったり一致している。いつまでも過去の名作を演じつづけているよりもその方がいい、いやモリエールは大好きですけどね。それにしても、ここはカーブを曲がってやるぞという意図があるんです。うまく曲がれたならば、非常に面白いことになると思います。
 
フラン・パルレ:どうしてロートレックというタイトルにしたんですか。画家の本当の名前はアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックでしょう。
レジス・ロワイエ:どちらにせよロートレックはロートレックです。誰かが彼を呼ぶときには「ボンジュール・ムッシュー・アンリ・ド・トゥ−ルーズ=ロートレック」とは呼びませんでした。「やあ、ロートレック!」です。彼はとても人気者でした。モンマルトルでは誰もが彼を知っていました。ロートレックはロートレックです。これが人物に一番マッチしているんです。
 
フラン・パルレ:映画の中で全身が見えることはめったにありませんね。これは監督が意図的にそうしたのですか。
レジス・ロワイエ:ロートレックの身長は1m50cmでした。僕は彼よりずっと大きいわけではあリませんが、それでも1m70cmあります。ですからロジェは僕の足が決して見えないように演出しました。それでもやはり全身が映ることはあります。全身が映るシーンのときは、穴の開いた靴を履きました。穴の開いたテーブルがあって、そこから足を通すんです。
 
フラン・パルレ:いろいろ不自由なことがあったでしょう。
レジス・ロワイエ:不自由なことは山ほどありました。まあ最初の2週間ですね。僕は胴を引き延ばすためのコルセットをつけていました。眼鏡もかけていたので、向こう側が何も見えませんでした。ある時は重みのようなものを出すために入れ歯をはめていました。そんなこんなで最初の2週間はちょっと戸惑ってしまいました。その後はゲームのようになり、楽しむことが出来ました。とても愉快でしたよ。
 
©Franc-Parler

フラン・パルレ:ロートレックになりきるための役作りはどのようにしましたか?
レジス・ロワイエ:僕はラッキーでした。よく映画では、たとえばキャスティングを5月に決めたとすれば7月から撮影が始まります。だから撮影前の準備期間は少ししかありません。僕は準備期間が一年あって、情報を仕入れることができました。それに僕はちょっと微妙な状況にあったんです。つまり、ある日ロジェから電話があって、やあ、ちょっと話があるんだ。何も聞かないでくれよ。と言います。僕はいいよと言いました。彼は言うんです「鬚をそるなよ。じゃあな。」そして切ってしまいました。その後で、彼がロートレックの映画を撮ろうとしていることを知ったんです。彼にとっての問題は、僕が無名だったので制作者側が僕に主役をやらせたがらなかった、受け入れようとしなかったことです。そこで僕は一年間待っていました。シナリオも持っていませんでした。この映画の企画があることは知っていましたが、この役をやるのが僕なのかどうかということはわからなかったのです。そのとき僕には二つの選択肢がありました。一つは返事があるまで準備をせずに待つことです。もう一つはすぐに仕事に取り掛かることです。そのときは、もし映画が僕なしで制作されたとしても、ロートレックのことをなにか学べたということになるでしょう。そこで僕はひたすら勉強しました。大変な量の読書をしました。アルビのロートレック美術館に何度も見学に行きました。彼の生まれ故郷に行って1週間過ごしました。彼が子供時代を過ごした場所にも行ってみました。おまけに僕はモンマルトルに住んでいましたから、彼が通った道はどれも10年前から知っていました。そこで生活していたんですから。僕は100年前の自分の町を再発見しました。これは愉快でした。それから油絵の授業も受けました。油絵がどんなものか知ろうと思ったんです。僕はボーザールの女子学生と勉強しました。彼女は油絵についてもロートレックについてもずいぶん話してくれました。つまり僕は彼に親しむためにありとあらゆることをやってみたわけです。それから、僕には方法論がありませんでした。僕は映画ではどんな風に仕事をするのかぜんぜん知りませんでした。そこで、どうせなら精一杯やろう、どのみち何かの役に立つだろう、と思ったのです。
 
フラン・パルレ:この映画では事実とフィクションの配分はどうなっていますか。
レジス・ロワイエ:フィクションよりもずっと事実に近くなっています。なぜならロートレックの手紙から直接引用した会話がたくさんあるからです。ヴァン・ゴッホのせりふはどれも彼の手紙から引用されています。また、たとえばエレーヌとのエピソードですが、洗濯女のエレーヌは実在の人物です。ロジェは本当に事実にできるだけ忠実であろうとしていました。それというのも事実が美しいからです。この人物が体験した事にはほとんど何も付け加える必要がありません。この映画であまり見せていないのは、ロートレックの父親、ここではクロード・リッシュの演じている人物ですが、その父親がどれほど奇妙奇天烈な人物だったかということです。この父親はチュチュを着て町に出たり、ワイシャツを側溝で洗ったり、トゥアレグ族の服装で馬に乗って外出し、ブローニュの森を散策したりしてたんです。ロートレックの父親の映画を作るべきだと思いますよ。本当に信じられない人ですから。
 
フラン・パルレ:息子の役を演じたいですか。
レジス・ロワイエ:したくないですね。
 

フラン・パルレ:エルザ・ジルベルシュタインとの共演はどうでしたか?
レジス・ロワイエ:とてもうまく行きました。彼女はとても上手です。私は心配でした。クロードやアネモーヌともそうでしたが、こんなに映画の経験を積んだ役者たちの相手はさぞ大変だろうと思っていました。でも実際はとてもうまくいきました。僕はエルザに言ったんです。君はずいぶん映画をやってきたけどぼくはあまりやったことがないんだ、うまくいけばいいけどってね。彼女はすばらしい人です。僕たちは息がぴったりでした。一緒に演じるときは、彼女が上手いので僕にはいい刺激でした。最初の二日間に二人で二つのシーンを演じたときは、どんな風にすればいいのかよく分かりませんでしたが、その後はローラーに乗っているように順調でした。
 
インタヴュ−:エリック・プリュウ
訳:大沢信子
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