フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

Rédaction du journal:
Rédacteur en chef: Éric Priou
Rédaction: Karen, Mika Tanaka

La francophonie au Japon
Franc-Parlerフランス語圏情報ウェブマガジン フラン・パルレ
〒169−0075新宿区高田馬場1−31−8−428
1-31-8-428 Takadanobaba, Shinjuku-ku, 169-0075 Tokyo

Tel: 03-5272-3440
E-mail:contact@franc-parler.jp
http://franc-parler.jp

2005年6月 ミッシェル・フューガンの「ブラボー!ムッシュ・ルモンド−地球賛歌−」
投稿日 2013年6月6日
最後に更新されたのは 2015年5月3日

今年、日本で久々の開催となった万国博覧会。愛称「愛・地球博」として名前だけでも知っている人は多いだろう。その万博に対する賛否両論はひとまず置いておくことにして、開催に際し万博を応援し盛り上げるための音楽が、数多く選ばれていたのをご存知だろうか。ミッシェル・フューガンの「ブラボー!ムッシュ・ルモンド −地球讃歌−」もそのうちの一曲で、しかも「愛・地球博」のグローバル・イメージソングとなったのだ。
この曲の作者ミッシェル・フューガンは、フランスでは知らない者はいないほど有名な歌手であり、グルノーブルで開かれた冬季オリンピックの公式テーマソングを作るほどの人物だ。日本では少し前にサーカスが歌って大ヒットした「ミスター・サマータイム」の作者といえば、ご存知の方も多いだろう。そんな彼が約30年前に作ったのが、雄大な地球讃歌である「ブラボー!ムッシュ・ルモンド −地球賛歌−」だ。
  さて、この曲が選ばれた経緯には、幾つかの要素が関連している。第一の要素は1997年に遡ることになる。なぜなら日本への万博誘致が1997年に開かれたB.I.E.総会で決定し、その直後の9月、パリのシャンゼリゼ劇場では「愛知万博支援感謝の集い」が開催され、その時のテーマソングとして「ブラボー!ムッシュ・ル・モンド −地球賛歌−」が選ばれたからだ。この時、舞台俳優でもあり、初代シャンソン大使、そして現在はアリアンス・フランコフォン副会長でもあるジャクリーヌ・ダノと、万博サポーター・アーティスト第1号の名古屋のシャンソン歌手である松本幸枝がこの曲を歌い、この曲が「グローバル・イメージソング」として誕生する第一歩となった。
  また、様々な問題が複雑に絡み合い、グローバル化する21世紀という時代で、初めて開かれるこの万博が、国際問題、テロ、軍事紛争、民族問題、宗教問題などの解決への、平和への糸口として、そして国境、言語、文化、宗教を超えて創造される世界、つまり万国博覧会として機能するために、アリアンス・フランコフォン(フランス語圏協会)は「音楽」の果たす効果、つまり万博のイメージソングを、世界各国の言語でうたうことを提唱したのだった。これが「グローバル・イメージソング」への第2の要素である。
 第3の要素は、日仏シャンソン協会の仕事である。日仏シャンソン協会はパリにその本部を、名古屋に日本支部を置き、フランス公演やフランスのアーティストを日本へ紹介したりと、精力的な活動を行なっており、それゆえに前パリ市長ティベリ氏から「日本のシャンソン中心=名古屋」と賛辞が送られるほどである。もちろんフランスとの関係も深く、日仏の音楽関係者を通じての万博誘致へ働きかけ、「万博支援感謝の集い」を開催したのもこの協会があってからこそである。そこで選ばれた曲が「ブラボー!ムッシュ・ルモンド −地球賛歌−」だったとは前述したが、この曲の日本語訳者が日仏シャンソン協会の日本支局長である加藤修滋氏なのだ。氏はアリアンス・フランコフォンの提唱にも呼応し、世界中にこの曲を広めるため、世界中のアーティストに呼びかけたのだった。
  そこで4番目の要素は、「多言語で歌う」という提唱に答えた沢山のアーティストたちである。まず最初に反応を返したのが、パリでもっとも人気のあるシャンソングループ「シャンソンの妖精」のリーダー、青山桂子をはじめとする名古屋のシャンソン歌手である。これをきっかけに、セルジュ・ムーサ(イタリアのカンツォーネ歌手)、NAHKI(N.Y在住のレゲエ歌手)、G.Yゴメス(在仏トルコ人歌手)、楊一(中国のフォーク歌手)、ジリンバラヤ(在日モンゴル人歌手)など世界各国から訳詞と録音テープが届けられ始めたのだった。
そして、訳詞が10ヶ国語を超えた時、レナ・ラウイB.I.E副会長は万博における「グローバル・イメージソング」という考えを明らかにし、ドイツ語、タイ語、アラビア語といった具合に次々と訳され、結局20ヶ国語にもおよぶ翻訳と、8つの社交ダンス・リズム、11の民族音楽、33人のアーティストによる歌が誕生したのだった。それはなんと世界中の79パーセントの国の言語、そして愛・地球博参加国の87パーセントをカヴァーするという、万博史上例を見ない、出来事となったのだった。
約30年前に書かれた歌が、様々な人や国、言語、ある一つの形体には留まらない音楽という形で、再び私たちの前に現れたこと。このことは、この混迷する時代において、そう歌詞の中で歌われた「何て素晴らしい地球 守り育てるために」と声をあげ、あらゆるものの再生への手がかりを託す出来事ではないか。万博の本質を、優しく、情熱的な形で蘇らせてくれたこのCDを聞き、これからへ思いをはせる。

2005年6月
米田朋代

qrcode:http://franc-parler.jp/spip.php?article376