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ベルトラン・タヴェルニエ、映画『今日から始まる』監督
投稿日 1999年6月1日
最後に更新されたのは 2017年8月21日
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ベルトラン・タヴェルニエ:貧しさを拒否する
 
ベルトラン・タヴェルニエ監督はその最新作『今日から始まる』で、担任する子供達の無秩序、家庭破滅や社会関係の破綻にもめげず日々格闘を繰り広げる、ある教師の姿を描いている。経済危機の直撃を受けながら産業構造の変革のままならないノール県の厳しい現実がありのままに映し出されている。
 
フラン・パルレ:この映画ができた経緯を簡単に紹介していただけますか。
ベルトラン・タヴェルニエ:この映画は一人の詩人との出会いから生まれました。とてもいい詩を書く人で、25年間も教師をしており、8年前からは幼稚園を経営しています。私の娘は彼の詩に非常に関心があって、ある日、本人を私に紹介してくれました。話しているうちに彼の仕事の話になりました。その中には心を打つ話がいくつもあったので、これは映画で取り上げなければと思いました。それから数日後に、君の仕事について一緒にシナリオを書いてみる気はないかねと持ち掛けたのです。彼は叙述的なものはこれまで書いたことがないし、本の中で自分の仕事について語った事もない、詩的な作品しか作ってこなかった、と言いました。できるかどうかわからない、というのです。すると娘が「私が手伝ってあげるから大丈夫よ。」と言いました。そんな風に始まったんです。自分の国について語りたい気持ちもありました。ある種の問題と、その問題に立ち向かっている人たちについて取り上げてみたかったのです。
 
フラン・パルレ:教師たちは今でもここに出てくるダニエル・ルフェーブルのような情熱を持ち続けているのでしょうか。
ベルトラン・タヴェルニエ:そんな人は大勢います。下調べをしている間に掃いて捨てるほど出会いました。彼らはとても厳しい条件の下で驚くべき情熱を持って戦っています。上層部の理解を得られない事もしばしばで、監督機関とのトラブルを抱えている事もあります。彼らの戦いは必ずしも正しく報道されていません。私が撮影を行なった幼稚園の園長先生はフィリップ・トルトンが演じた人物にとてもよく似ています。
 
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フラン・パルレ:特にこの俳優を選んだ理由は何ですか?
ベルトラン・タヴェルニエ:私は彼と仕事をしたことが何度かありました。『L.627』や『コナン大尉』です。私はトルトンにコナンとはほとんど正反対の役を演じさせてみたい気持ちがありました。この人は天才的な役者だと思います。フィリップ・トルトンは天才です。私は彼が全く毛色の違う登場人物を演じ分けられることを示したかったのです。コナンと同じように『今日から始まる』の登場人物は途方もないエネルギーをもっています。しかしコナンの場合にはこのエネルギーが死のために、殺すため、破滅するために用いられていました。それに反してここではそれが生のために、人を助けるため、救うために使われています。ですからまったく毛色の違う、人間性の異なる、でも同じ内的パワーを持った人物が得られるわけです。私はこれからもぜひ彼との協力関係を維持していきたいと思っています。これほど現代的で、作品の意図にこれほどコミットしてくれる俳優を使えるというのは本当に幸せなことです。彼は作品の思想を全て自分のものにしてしまうんですから。それに彼のお母さんは小学校の校長先生でしたから、この映画はある意味でご両親への敬意のしるしにもなっていると思います。
またこの映画には女性も登場します。あとで気がついたのですが、主人公を支える二人の女性は観客に強い感銘を与えます。主人公の戦いに加担することになるソーシャル・ワーカーの女性が明らかにしてくれる事、これは私にとって非常に重要に思われるのですが、それはダニエルという人物がアメリカ映画のように孤独なヒーローではないということです。彼は人に押し退けられたり、周囲の人々にしばしば問題視される人物、支えの必要な人物です。彼はまた配偶者の強力な援助を得られる人物でもあります。ナディア・カシとマリア・ピタレシの二人の女優は非常にいい演技をしてくれました。
 
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フラン・パルレ:子供との撮影はどうでしたか。
ベルトラン・タヴェルニエ:撮影は最高でした。最初は30人もの子供とたくさんのシーンを撮るなんてできっこないと誰もが言いました。でも結局は最高にうまく行きました。準備に時間をかけたのがよかったのだと思います。学校にちょくちょく行って子供たちに顔を覚えてもらいました。私たちは外部から突然侵入して人々に自分たちの真実を押し付ける撮影スタッフとは違います。学校へ行っては子供たちの話を聞き、職員の話を聞きました。私は非常に謙虚に、へりくだって仕事をする必要がありました。終始耳を傾けなければなりませんでした。するとそれが通じたのでしょう、子供たちは私たちと仲良くしたい、私たちの手助けをしたい、私たちに尽くしたいと思うようになったのです。その上フィリップ・トルトンは子供たちと非常にいい関係にありました。最も撮影スタッフは皆、子供たちととてもうまくいってましたが。
 
フラン・パルレ:他にも経済危機に見舞われた地域はありますが、ノール県を選ばれたわけは?
ベルトラン・タヴェルニエ:もちろん他所にもあります。映画が封切られてからというもの、数百人もの人々から証言が寄せられました。この映画が現実を正確に映し出している、まったくこの通りだというのです。この証言はフランス全国から寄せられています。でも私がノール県を選んだのには、いくつか理由があります。まず私がこの地方を知らなかったこと。監督にとって新しい地方を発見するということは、別の風景、別の場所を発見すること、自分の国の未知の部分を探検するということで、非常に興味深いことなのです。それにノール県はドミニク・サンピエロが生活していた土地でもあります。私が彼の経験、彼の人生、彼の戦いの一部を使う以上、彼に向かって「よろしい、私は君が持ってきてくれたこれこれのアイデアとシーンを使おう、ただ舞台は南仏にするよ。」などと言うのは非常に傲慢だと思います。シナリオに書かれた場面や行動様式のなかには特にこの地方に根差したものがたくさんあったと思います。
 
フラン・パルレ:社会福祉関係その他の機関がやり玉に揚がっていたようですが、それでも協力は得られましたか。
ベルトラン・タヴェルニエ:文部省は協力してくれました。視学官の人に大変お世話になりましたし、関係機関の人たちの多くはこの映画がまったく正確であると言ってくれました。
 
フラン・パルレ:現実を動かしているという感じはありますか。
ベルトラン・タヴェルニエ:少しはあります。各大臣に手紙が届いています。請願書です。ノール県では映画を見た教師たちが視学官を追放しました。けれども、私がこの映画を作ったのにはこういう意味合いもあります。私は個人的にジャン・ルノワールと知り合う機会がありましたが、彼は「世界を変えてやるぞと思わなければ作れない映画がある」と言っていました。そのくせ10人の人を感動させられたならそれだけで素晴らしい成果だと言える謙虚さも待ち合わせていなければならないのです。非常に野心的であると同時に非常に謙虚でなければなりません。しかしともあれこの作品には反響がありました。この映画は的を射ている、人々が苦しんでいる現状を告発している、という声が後をたちません。映画館ではよく拍手が起こるのですよ。
 
フラン・パルレ:まるでゾラの時代のように、食料などの生活必需品すらないといった状況が見られます。それなのにある家庭では余計なものを持っていますね。ビデオデッキとか…
ベルトラン・タヴェルニエ:これは貧しさが孕む矛盾です。こうした矛盾には本当に驚かされました。私が訪れた所のなかには子供たちの食べ物さえなさそうなのにビデオカセットが何十本もあったり、私のより立派なテレビがあったりするんです。
 
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フラン・パルレ:にもかかわらず、前途を楽観していらっしゃるわけですか。これがすっかり変わっていくとお考えですか。
ベルトラン・タヴェルニエ:映画にはこれと言った結末はありません。もし変えていかなければならないことがあるのなら、それは映画を見ている人たちのすることだ、と思わせるような終わり方になっています。登場人物自身が小さな勝利をいくつも獲得しているからです。でもこの映画の最後のメッセージは、彼がこれからも戦い続けていくだろうということです。でもそれがいつまで続くのでしょうか。ある意味では物語の結末を作るのは私たちであり、観客であると言えます。また私が楽観的でいられるのは、映画が引き起こした反応のおかげです。突然市民団体を作る事にした人々もいますし、学校の中で戦う事にした人もいます。戻ってきた人たち、戦いを再開した人々もいます。ですから私は、戦いたい気持ちはあるんだと思います。この映画がそれを示したということ自体が、あきらめてはいけない、投げ出してはいけないということの証拠だと思います。だからこそ楽観的でいられるわけです。この楽観主義は留保付きのものであって、それもかなりな留保が必要です。現実の状況は厳しいですから。しかしいずれにせよ、状況がかりにさらに厳しいものであったとしても、戦いは続けなければならないと思います。
 
1999年6月
インタヴュ−:エリック・プリュウ
訳:大沢信子



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