フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

Rédaction du journal:
Rédacteur en chef: Éric Priou
Rédaction: Karen, Mika Tanaka

La francophonie au Japon
Franc-Parlerフランス語圏情報ウェブマガジン フラン・パルレ
〒169−0075新宿区高田馬場1−31−8−428
1-31-8-428 Takadanobaba, Shinjuku-ku, 169-0075 Tokyo

Tel: 03-5272-3440
E-mail:contact@franc-parler.jp
http://franc-parler.jp

ジャン=ピエール・レイノー、現代アーティスト
投稿日 2005年11月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
ジャン=ピエール・レイノー:鉢から旗へ
 
ジャン=ピエール・レイノーはフランスの現代アーティストで区分を超越した活動をしている。その証拠に、アジア地域初の東京での彼の展覧会(2005年9月1日〜18日)では、複数のアジアの国々の旗を展示してみせた。彼は自身の芸術的な取り組みについて快く語ってくれた。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:ご自身の芸術家としての足跡をお話し下さい。
ジャン=ピエール・レイノー:私が現代芸術にかかわってから45年が経ちます。つまり私は自らの時代の芸術と仕事をしているということです。極めて
正確には1962年からですね。そして私は画家ではありません。私は常に
物と仕事をしてきました。つまり、私は実生活から対象を選び、現存する物
を言葉、語彙として使うのです。出来るだけそれに手を加えないようにして。
ということはそこには最低限の加工が施されているのです、なぜならそれが芸術家のサインにあたるからです。これはかなりコンセプチュアルだと思われるでしょうが、私にとってはこれらの物との関係を変えないということがとても大事なのです。それらはコミュニケーションのコードであり、全世界を通じて認知されているのです。60年代初頭を例にとると、私は進入禁止の標識、道路標識を仕事の題材にしていました。私はパリ等の都市近郊のゴミ捨て場から調達した信号機や標識板を使っていました。私はそれらに木の板でほんの軽く手を加えて、私の個人的な加工を介してそれらを別なふうに見せていました。次に私は植木鉢を題材にしました。なぜなら私はもともと造園家だったからです。50年代には。私は植木鉢の真の実在性を見せる為に植木鉢をセメントで満たしました。セメントで満たすことでこの物を別なふうに見せる。それはもう植木鉢としては使えないのです。私は同じく長年にわたって白いタイルを題材にしていました。私はこのテーマで家や、建築物を、建築家としてではなく、私自身の為に造りました。私は床、壁、天井すべて白いセラミック製タイルで覆われた家に住んでいました。
そして1997年、私は旗で別の道を切り開こうとしました。なぜなら旗は国際的なコミュニケーションの道具でもあるので、私にはこの世界的なコミュニケーションの道具が最も現代を象徴していると思えたのです。紛争が起こった時、スポーツの祭典がある時、何かがある時、衣料品を売る時、これら全ての時において、簡略化するために国旗をあしらったマークをつけます。それが中国、台湾であっても、ベルギーやフランスであっても。ご存じの通りアメリカ合衆国旗の使用が貿易センタービル破壊(9/11)の時などにも見られます。従って私にとって旗は現代の最も強いコミュニケーションの媒介物なのです。私はこの題材を自ら選び、全身全霊で取り組んでいます。この題材は他のものと違うのです、なぜなら旗はピンからキリまでのあらゆるコミュニケーションの役割を負わされた物だからです。これは同時にがらくた置き場の類、ゴミ箱と言えますね。旗についてこのように表現することを私は恐れてはいません。これは同時に旗に対する絶対的な畏敬の念でもあるのです。だから私にとってはとても強烈でした。何故なら私は世界中で国旗が即座に認識されることを知っているからです。その全てを知らなくてもそれが旗であることは知っています。そしてこの新たな挑戦、新たな野望という理由から私は7年前から旗に取り組んでいるのです。
 
Photo: Hiroshi Noguchi

フラン・パルレ:それらは本物の絵画…旗、ですか?
ジャン=ピエール・レイノー:それらは本物の旗です。言い間違えはよくあります。フレーム上に広げられた旗を見ると、あなたがご覧になったように、瞬時に絵画を連想するからです。私がおそらく旗を描いたのではないかとさえ思われます。実際に私は一度も旗を描いたことはありません。初めから、あなたに言っていたように、私は画家ではありません。それは私のテーマではありません。私はジャスパー・ジョーンズではありませんし、旗は作りません。その代わりに、私は世界中の専門の企業に既製の旗を探し求めに行きます。旗を手に入れると、私はそれらをただ単にアート・フレームの上に広げ、特にその上に手を加えることはしません。芸術家がその上に手を加えなければ加えないほど、よりその素材本来の有り様を残すことになり、芸術家の過度な表現をもたらすことがより少なくなると私は考えます。このことを私はとても重要だと感じています、何故ならそうすることにより、あなたがその物を見たとき、観客がその物を見たとき、芸術家によって変貌させられていない真の物を見ることになります。これに対して、私のサインは、旗をフレームの上に広げ、絵画の様に見せること、私がアートの中に取り入れた物として見せること、モンドリアンの絵の様に見せること、旗を視覚で感じる揺るぎないアートとして見せること、です。何故なら旗はいつも風にはためいているのを見ますが、実際正しい構造を見ることがありません。だから私はこうすることで、旗の真の構造を再び明らかにしているのです。つまりこれは観衆と、象徴となるこれらの旗との対峙の類であり、そこに色を見いだすことも、あなたがたを反発させる、または惹き付ける強烈なシンボルを見いだすことも禁じられていないのです。これは最悪のものと極上のものを入れる箱の様なものであると同時に、この物は私がアートの中に取り入れるためにさらってきたものです。なぜなら20世紀には男子用小便器を美術館入りさせたマルセル・デュシャンのような有名な先達がいたからです。この旗は本当にレディー・メードではなく、一人の芸術家の生活に入り込んだ物であり、アートの世界に入る物であり、これをレイノーのオブジェにするために私は力を入れていかなければならないのです。
 
Photo: Hiroshi Noguchi

フラン・パルレ:かかわりのあった国々の大使館の反応は如何でしたか?
ジャン=ピエール・レイノー:私はまだ並置した二枚の国旗を北朝鮮に見せていないのです。これは近々計画していることです。私はキューバにはキューバの国旗を見せました。それはフィデル・カストロ議長の支持を得て「革命の王宮」入りしています。私はオーストリア、ベルギー等、様々な国で旗を見せてきました。フランスでも、もちろんのこと、ジュー・ド・ポーム博物館でこれらをみな見せてきました。ところで、政治的に強いサインに触れると当然のことながら、いつも過敏で一過性の反応が起き得ます。でも私にとってそれは問題ではありません。私にとって大切なことは、旗を尊重することです。これが第一です。そうでなければ、私は旗に関わることはなかったでしょう。それと同時に、気をつけましょう、この旗は、これはみんなのものです、これは単に特定の国籍保持者の為のものではありません、と言うこともなかったでしょう。わたしにとってフランスの国旗はフランス人に属しているものではなく、旗に帰属するものです。それで私は旗をこのように公共の場所に置くことによって、この物は国際的なコミュニケーションの道具であることを示し、旗に追加の自由を与えているのです。アートの世界ではこれは少し無理のある動作ですが、同時に子供達が辞書のページを覗いた時のような、あるいは幼児向けの絵本の絵を見た時のような初々しい眼差しを得ることが出来ます。つまりこのフレッシュな眼差しでもって、旗にシンボルがあることを知りつつも、青の隣にある緑を見ることが出来、専制主義と民主主義さえも混同することが出来、私自身も自由を感じ、そしてその自由のなかで仕事をすることが出来るのです。
 
2005年11月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:粟野みゆき
qrcode:http://franc-parler.jp/spip.php?article226